(──数学者でいらっしゃる藤原先生が
徹底して国語にこだわられるのは興味深い
ことですね。)
(藤原)
私が国語にこだわるのは、すべての人間に
とって、国語が知的活動の基礎だからです。
数学者からしたら「算数が一番」と言ってほしい
のでしょうが、私は「一に国語、二に国語、
三四がなくて五に算数」だから数学者の間で
評判が悪いのです(笑)。
だけど、彼らだって本音では分かっていますよ。
やはり国語には敵わないということを。
私たち人間は何かを思考し、それを言葉で
表現します。
逆に言葉を使って考えを整理していきます。
それには何よりも語彙が大切になってくるのです。
地下鉄の中で「あの先生、チョーむかつく」と
話している中学生の会話に耳を傾けていると、
その語彙は百語から二百語くらいです。
ということは百か二百くらいの思考しかないと
いうことですね。
人を愛するのでも、好きか嫌いかだけだったら
獣の恋しかできない。
しかし日本には「愛する」「恋する」「慕う」
「恋い焦がれる」「横恋慕」「岡惚れ」、
それから私の得意な「片思い」とか(笑)、
何百とあります。
それらを知れば知るほど
恋愛は襞が深くなっていくのです。
(──そうでしょうね。)
(藤原)
恋愛だけではありません。
子供たちにはとにかく漢字を叩き込んで、
濫読でもいいのでたくさんの本を読ませて、
感動の涙と共に人間としての豊かな情緒、
道徳を育んであげることが大切だと思います。
弱い者は何があっても助けなくてはいけないと
いう正義感を身につけさせることもそうです。
私自身のことを振り返っても、
小学生の時に東北の貧しい農民の詩を読んで
涙しながら、弱者に共感する心、
いわゆる惻隠の情を知らず知らずのうちに
身につけていった気がします。
★藤原氏はこのほか、
スマホやデジタル書籍の是非などについても
お話しされています。続きはぜひ誌面で。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!