今という時代を映す鏡でありたい──。従来の
ニュース番組とは一線を画し、日本のジャーナ
リズムに新しい風を吹き込んだ〈クローズア
ップ現代〉。番組スタッフたちの熱き思い
とともに、真摯に、そして果敢に、自分
の言葉で世に問いかけ続けてきたキャ
スターが、23年にわたる挑戦の日々を語る。
キャスターという仕事に偶然めぐり会い、
抜擢されて総合テレビに出たものの、経験
と能力不足が露呈し、わずか1年で外された。
自分にとって初めて経験した大きな挫折。
しかし、そのことでむしろ、私のなかで
キャスターという仕事に対するこだわ
りが生まれてきていた。
毎日、大勢の視聴者の前で不甲斐ない仕事ぶり
を見せ、時に外を歩けないような恥ずかしい気
持ちで過ごさざるをえなくなった一年間を経
て、私は、キャスターとして成功したと評
価されなければ、この先も、顔をあげて
歩いていけないと思うようになっていた。
キャスターとして認められたい。なり
たい自分がはっきりと見えた。
その後、編集を前提にしないインタビュー番組
を任された。無我夢中で仕事をした。キャスター
として認められたかった私は、体の具合が悪く、
熱があっても、吐き気を催しても決して休ま
なかった。バケツを席の下に置きながら
放送したこともあった。
リベンジの時。衛星放送で体験した、インタ
ビューのいわば「1000本ノック」。
そして4年が経ち、1993年、総合テレビで
夜9時半から新しく始まる報道番組のキャス
ターを私に担当してほしいと依頼が来た。
苦い思いを経験した総合テレビで、もう一度
自分を試せる。自分へのリベンジが出来る
チャンスを与えられたと思った私は、す
ぐに「やらせてもらいます」と答えた。
衛星放送のワールドニュースでは、多くの
修羅場を否応なしに体験させられ、その結
果として、私はどんな事態でも向き合え
る度胸がついたと思う。
自分を鍛えられる場所を与えられたことが、
キャスターとして認められたいという
強い気持ちが生まれていた私には、
なによりありがたかった。
数々のインタビューを通して、たとえニュース
になる発言を引き出せなくても、言葉の重みや
表情が語ることもテレビの大きな魅力である
ことを学んだ。
インタビューでは聞き手がどんな質問をする
のかが問われていることも実感した。そして
生放送では、最後は自分しか頼れないと
いう覚悟が必要であることも身に染み
てわかった。
視聴者への問題提起としての「クローズアップ
現代」。その番組の性格上、番組の冒頭に「前
説」というものが置かれていた。
コメントは、短くて1分半、長くて2分半。
私はこの前説の作成に2時間から3時間か
けることもあった。書いては消して、消
しては書きの連続。
前説の語りに、放送に至るまでの制作者たちの
様々な思い、全体試写での議論や多くの資料な
どを通して私が感じた思いを全力投入し、文
脈として浮かび上がるようにした。
良いインタビューは、次の質問を忘れて相手の
話を聞けたときに初めて行えるものなのだ。
聞き手であるキャスターが、しっかりとインタ
ビューの準備をしてきたかどうかということは、
相手の方はたぶん会って数分で気づく。
国谷 裕子 (著)『キャスターという仕事』
を読む(その2)
の詳細及び書籍購入はこちら ⇑
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!