法隆寺最後の宮大工棟梁といわれる西岡常一が、
1300年にわたる古建築の技と知恵を語った
「天」の篇。
それを受けて、18歳で西岡の門を叩き、3度
追い返されながらもただひとりの弟子となった
小川三夫が、技能を継承する側の視点から、
師あるいは宮大工の未来を語った
大工は手の仕事。
頭で考えるだけでは建物を造ることができない。
学校の勉強は記憶や抽象的な思考の訓練でした。
西岡常一棟梁のもとで大工の修業をはじめたとき、
それまでとはまったく違ったことを一から
学ばなければならなかった。
1300年も前の姿をそのまま残す法隆寺や薬師寺の
建物は、職人から職人たちへの手による記憶に
よって引き継がれてきた。
この手による記憶は、この後いかに科学が進んでも、
言葉にも数式にもよらず、やはり人間の体を使って
しみこませた記憶や勘によってしか伝えられない。
そしてそれを実践していくのは、私たち大工。
古くから悪習のようにいわれる徒弟制度には、個人
対個人が持つよさがあり、木の癖を見抜き、それを
生かす飛鳥の工人の心構えと同じものが弟子の
教育にはたらいている。
法隆寺は大工の教科書。
いくつもある法隆寺大工の口伝も、法隆寺に
来てみたらその意味が本当にわかる。
「伽藍造営の用材は木を買わず山を買え」
「木は山の生育のまま使え」
「木組みは寸法で組まず木の癖で組め」
食えない宮大工を食える宮大工に。
技術者を食わせられないで何が文化なもんか。
千年という時間。
柱にしても千年以上持っている木がたくさんある。
宮大工の仕事は時間の手伝いがいるっていうことや。
200年、300年という時間がわからないといけない。
この大きな時間の流れがわからんのは、「耐える」
ということを知らんからじゃないか。
耐えてきたやつには時間の長さがわかるようになる。
千年という時間がわかるようになる。
古代建築を見ても、それを造った工人の仕事の一つ
一つや、山で切った木がどれくらいの時間をかけて
運ばれてきたのかが考えられるようになる。
私が西岡棟梁の家に住み込んだときは、「これから
は本も新聞もテレビも見んでいい。とにかく
研ぎをやれ」こういわれた。
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ございました。感謝!