科学への信頼が厚く、大学は
工学部に入った皆藤章さん。
そんな皆藤さんが、臨床心理士を目指
すようになったきっかけとなった、
ある恐ろしい事件とは――。
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鈴木 秀子(文学博士)
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皆藤 章(臨床心理士)
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【皆藤】
河合先生と出会えたのは全くの偶然です。
私は高度成長期に多感な時期を過ごした
ので、科学への信頼はかなり厚い
ものがあったんです。
科学で社会に貢献したいと思って
大学は工学部に進みました。
2年生の時に不登校の中学生の
家庭教師をしていました。
ある日その家に行くと、その中学生
が運動靴を履いたまま「おかん
どこや」と叫びながら居間
を歩き回っていました。
怖くて押し入れに隠れていた母親を
見つけると激しく殴ったり蹴った
りして、最後には電話線で
首を絞めたんです。
それは凄惨な状況でした。
【鈴木】
そんなことが……。
【皆藤】
私は「やめろ」と叫んで後ろから羽交
い締めにしましたが、母親は「先生、
止めないでください。私が悪い
んです」と言うのです。
母親は失明寸前の大けがを負い救急車
で運ばれましたが、この衝撃的な出
来事をとおして、私はどれほど
科学が進んだとしても、この
家族が抱える問題を解決
することはできない
と痛切に感じたんです。
工学部で学ぶ意欲が失せていった
のはその時からです。
【鈴木】
それで教育学部に転学なさったのですね。
【皆藤】
転学して最初に受けたのが河合先生
の臨床心理学の授業でした。
その時、先生は仁王立ちになって
遠くを見つめながら、「臨床とい
う言葉は床に臨むと書く。
つまり、臨床とは死に逝く人の床に
臨んで魂のお世話をすることで
す」とおっしゃるんです。
周りの学生たちは頷いていましたが、
「魂のお世話」と言われても私
には何のことだかさっぱり
分からなかった。
科学は魂という概念を捨てるところ
から始まっているわけですからね。
でも、一方では「変なことを言う先生
だけど、この先生に学べばあの親子
の気持ちが少しは理解できるかも
しれない」と思うと、すごく
エネルギーが湧いてくる
のを感じたんですね。
心理学を学ぶ学生の中では最後尾を
走っていた私でしたが、それでも
必死に勉強して大学院へと
進みました。
『致知』2018年5月号【最新号】
特集「利他に生きる」P26
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝