自分にとって大切なのは.いまこうして生きているということ 第1,706号

2020/03/19 (木) 7:35

俳聖・松尾芭蕉は道元禅を
深く学んだ求道者でもありました。

厳しい漂白の旅の中で、歴史に残る
多くの秀句を詠み続けた芭蕉が求めた
世界とはどのようなものでしょうか。
禅の教えに造詣が深い東洋思想家の
境野勝悟氏にお話しいただきました。

……………………………………

確か大学三年生の時だったと思います。
一つ上の先輩から「これを読めよ」と
勧められたのが
鈴木大拙先生の『禅と日本文化』
という本でした。

私が禅の教えに触れたのはこれが最初でしたが、
禅が茶道や俳句など幅広い日本文化にも
影響を与えたことに興味を覚えながら読み進め
ると、そこには少年の頃から慣れ親しんだ
芭蕉の句が紹介されていました。

古池や蛙飛こむ水のおと

山の中の静かな古池に蛙が飛び込んだ。
ポチャンという音が静寂を破り、
しばらくするとさらなる静寂が広がった。

それまでの私はこの句をそう解釈していました。

ところが、大拙先生の解説は
それとは全く違っていたのです。

大拙先生は古池を永遠なる自然の生命の象徴
捉えられました。

そして蛙が飛び込むポチャンという音は、
永遠の生命から比べれば一瞬に過ぎない
人間の一生。

つまり、一瞬に過ぎない二度とない人生の時間
を嘆き悲しみながら過ごすことの虚しさ……。
逆に生を惜しみ感謝しながら生きることの
大切さを説いたのがこの句だというのです。

数多い動物の中で私たち人間だけが花を愛で、
音楽を聴き、小説を読み、新幹線や飛行機で
旅をして人生を謳歌する喜びを知っています。

そういう人間の素晴らしい働きを、
なぜもっと生かして人生を
意義あるものにしないのか。

自分にとって大切なのは、
いまこうして生きているということでは
ないのか。

これが芭蕉の根底にある考えです。
その人生観を知った時、私はとても驚き、
心が震えました。

坐禅に取り組んでみようと思ったのは、
実はこの時が最初でした。

最新号「命ある限り歩き続ける」の
詳細はこちら 

 今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

スポンサードリンク

♥こちら噂の話題満載情報♥

ぜひ、いいね!を「ぽちっ」とお願いします

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください