30万人の大組織を変革した強烈な個性は
どこから生まれたのか。
学生時代、造船屋時代に培われた人生
哲学を率直に語った話題の書。
これがシントーイズムの源流。
子供の時から、どうも他人から習った
ことをそのまま真似するのが嫌いだった。
九州帝国大学に入った当時は造船不況の
厳しいときであり、飛行機のほうに
進みたいと考えていた。
ところがいろいろ勉強したり、研修で工場
を実際に見学してみると、設計上、飛行
機が寸法でミリ単位、重量でグラム
単位であるのに対し、
船はインチとトンが単位で、私のような
大雑把な人間には、どうも飛行機は不向
きではないか、と思うようになっていた。
専門コースになって、ごく少ない人数に
なったので、教室で講義をきくことより
も、教官室で先生の話を聞くという
「寺子屋方式」になることが多かった。
造船以外の先生方が混じると、先生
同士の学問の話が始まる。
3年生になると、議論される細部の内容
まではわからないまでも、なんの話か
ぐらいかはほぼ理解できた。
自分達が習っていることと、先生方の
勉強のレベルとのギャップがどのくらい
かも、わかるような気がした。
経営とは先輩達から習ったものを、片っ端
から捨てていくことの連続であり、現状を
どう変えるかがポイントである。
習ってきたものを、ただ直訳的に
導入しても役立つまい。
経営学を日常の経営に生かすには、よほど
咀嚼して、身につけることだ。
そういう力があるかどうかで、
経営力に差がつく。
習って覚えて、真似して実行してみて、
具合の悪いところを修正していくうち
に、最初に習ったことは結果として、
すべて捨ててしまっているものだ。
経営とは、現実の社会的な動きの中で、
自分の動きをいかにフィットさせ
るかである。
現場に潜り込む。
大学を出て造船会社に入って、最初に
配属されたのは船殻の設計であった。
毎日仕事をしながら気づいたのは、現場
から設計部にくる文句や催促の多くが、
設計部から出す図面のタイミングに
起因するもので、現場の作業の
流れにうまく合わないために、
生産工程の足かせになって
いたことだ。
したがって、設計屋といえども現場を
心得ておく必要があると考えて、不満
を聞きだしてみることにした。
私は昼食が済んで、みなが将棋や囲碁に
夢中になっていたときに、現場にもぐり
込んで設計に対する注文、不満を
聞きだした。
現場の人たちからは好き勝手な注文が
次々と出てきたが、そのほとんどは
解決できる問題だったので、一つ
一つの注文に合わせて設計を
作り直し、満足のいくよう
にやり方を変えた。
どんな仕事でもそうだが、他人よりも
早く片付くようにうまく段取りすれば、
お得意様からは、「あの人に頼ん
でくれ」と指名される。
指名されることが多くなり仕事が忙しく
なれば、さらに早く段取りできるように
工夫するし、本人だけでなく周囲も
その刺激を受ける。
みなに「能率を上げてくれ」とは
一言もいわなかった。
ただ「ケガしないように、仕事のやり方を
変えよう」といって始めたのが、安全と
いう観点から徹底的に詰めていくと、
結局は、もっとも合理的な作業環境の中で、
もっとも合理的な人間の動きを実現
することになる。
合理化とは極端にいうと「手抜き」
を考えることだ。
なぜなら手抜きを考えると、自分の周り
の基本的なことをきちっと整理する
ことになるからだ。
芸のない経営者は経営が苦しくなると、
すぐ「倹約しろ」という。
鉛筆や紙を倹約するためには、実は事務
処理の流れを合理化することが根本
なのに、そのことに気がつかない。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。 感謝!