イースター島のモアイ像を修復した人が
日本人石工だったことをご存じでしょうか。
左野勝司さんがその人。
この道60年以上の匠です。
「一流になる人は心構えが違う」と思わ
せる若き日の修業時代のエピソード
を紹介します。
───────「今日の注目の人」───
左野 勝司(石工)
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──独立を志されたのですね。
独立しようと思った理由は
もう一つあります。
棟梁が家に行けば「大工さんの棟梁はん、
来てくれはったで」と歓迎されるのに、
石工だけは「あ、石工も来よった
がな」と言われる。
石工は見下げられた職種の一つだという
ことを、思い知らされたんです。
子供ながらにこれは悔しかったですね。
まだ独立前ですが、僕は日本の石工が
ヨーロッパに行ったという話を聞いた
ことがありませんでしたから、それ
なら自分が真っ先に行ってやろう
と思いました。
往復の旅費だけで80万円ほどかかる時代
でしたが、給料は1円も使わず、酒は一滴
も飲まずにコツコツとお金を貯めて、19
歳の時に一人で日本を飛び出したんです。
──人並み以上の石工になりたいと
思われたのですね。
と同時に世界を見てみたいという
思いもありましたね。
向かったのはフランスのパリで、
シャンゼリゼ通りなど石造物
の多さには驚きました。
ルーブル美術館に行くと、階段の補修
工事をやっていて、僕は四時間も五時
間も作業に見入っていたんです。
しばらくすると石屋さんのほうから声を
掛けてきて、僕は手真似で「道具を貸
してほしい」とお願いしました。
コンコンと大理石を割ったら、まぁこれが
まっすぐに綺麗に割れてしまいましてね。
「自分たちより上手く割れるじゃないか」
というので、現場監督が「自分の家に
泊めてあげるから、しばらくここに
いて仕事をしてくれ」と言ってくれました。
信じられないような話でしょう(笑)。
※左野さんのその後の活躍については
11月号で詳しくご紹介しています。
『致知』2017年11月号
特集「一剣を持して起つ」P42
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・『致知』はこんな雑誌です。
⇒ http://www.chichi.co.jp/special/teiki1708/
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今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。感謝!