自分の本心に素直になって我儘なほど仕事に没頭できる人を一流という 第 2,584 号

多くの医者が「治らない」「助からない」
と匙を投げた患者さんを
〝最後の砦〟として受け入れ、
命を救い続けてきた脳神経外科医がいます。
佐野公俊さんと上山博康さんです。

戦後日本の脳神経外科を牽引し、
患者さんのために己のすべてを懸けて
病気と闘い続けるお二人に、
医療への熱い想い、医師としての
原点を語り合っていただきました。

★本日発刊!最新号「運鈍根」には、
佐野さんと上山さんの白熱の対談を掲載。
お二人はいかにして「最後の砦」と言われる
ほどの実力を養われたのか。
対談詳細はこちら 

─────────────────

(上山)
……北海道大学に戻って頑張っていた37歳の
時に、ある難しい脳腫瘍の患者さんの手術を
行うことになりましてね、
その時に私は本当の意味で(師匠の)伊藤先生の
バトンを受け取れたと思ったんですよ。

(佐野) 
どんな手術だったのですか。

(上山) 
その手術は、腫瘍に通じる内ない頚動脈から
カテーテルを通して塞栓(そくせん)物質を流し
込み、腫瘍を固めて壊死(えし)させるという
特別な方法で行うことになりました。

僕は塞栓物質が腫瘍以外の血管に
流れ出さないようフライフィッシングで使う
結紮(けっさつ)の仕方を応用して
血管を縛ろうと思っていました。

でも、術前検討会ではクリップで
止める方法でやることに決まったんです。

(佐野) 
上山先生が主張したのとは違う方法でやる
ことになった。


(上山) 
「分かりました。クリップでやりましょう」
ということで手術に臨んだのですが、
手術終盤に塞栓物質を注入していくと、
四ccで一回止まったんですよ。

かなり大きな腫瘍だったので、
もう少し入るだろうとさらに注入したところ、
二本のクリップが開いて全部脳幹に
流れていってしまった。
顕微鏡を見て、あっ、
これはもう駄目だって分かりましたよ……。

その瞬間、時間が停止して
違う次元へ飛んでいったというか、
目の前がクラクラして、自分がどこにいるの
かも分からなくなったんです。脳裏には、
手術前の患者さんの笑顔が浮かんでいました。

「俺には独り立ちできない子供が二人いるから、
まだ死にたくないんだ。先生に任せるから頼むよ」

ただ最初はどうやって言い逃れをしようか、
そればっかり考えていたんですね。ところが、
そんな時、ふと伊藤先生の言葉が出てきたんです。

「患者は命を懸けて医者を信頼して手術台に
上るんだ。おまえはそれになんて答える?」

(佐野) 
とても重い言葉ですね。

(上山) 
若い頃は伊藤先生の問いに答えられません
でした。でも、この時に……

※この続きは最新号でご覧ください。
本対談には
●患者さんと共に最後まで戦うのが名医
●努力する者にのみ神の啓示がある
●厳しい道を選ぶことが運を招き寄せる

など、あなたの人生、仕事の困難を突破する
ヒントが満載です。対談の詳細はこちら 

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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