自序より(1952年1月執筆)
私は過去八十五年の長い生涯を顧みて、私の誇る
べきもの、私の説き得るものに何かあるとすれば、
それはただ、この八十五年に集積した体験ばかり
のように考えられる。(中略)
平凡人の平凡に生きてきた道は、ただ努力主義に
つながる以外はない。
否むしろ、天才すらが努力そのものの所産である。
努力こそ人生のすべてで、努力の体験こそ最も貴重
なる体験と言わねばならぬ。
そこで、私は私自身の至らぬ努力体験を語ることに
大いなる喜びを感ずる。
不思議なことに私は、父を失い家計も次第に苦しく
なり、百姓仕事の手伝いもさせられるようになって
からは、かえって学問が好きになってきたのである。
私の体験によれば、人生の最大幸福は、家庭生活
の円満と職業の道楽化による。
ミュンヘン大学での博士号試験に臨んだ。
試験官のブレンタノ教授が講義の種本としている
『エーアベルグの財政原論』という菊判257
ページの本を、一字一句も余さず暗誦しようと
破天荒の決意をした。
だが、いよいよ暗誦にとりかかってみて驚いた。
本の内容がなんとも難解なのである。
1日半ページも進まない。
しかも翌日になるとケロリと忘れてしまう。
こんなことではとてもダメだ。
せっかくここまできて望みが達せられない
とは無念。
このままでそうしておめおめと故国に帰られよう、
どの面下げて養父にまみえよう、いたずらに
屈辱を受けんよりは、むしろ潔く切腹する
ことが男子の面目ではないか。
ついに切腹の決心を固め、養父から与えられた、
伝家の宝刀を取り出した。
しかし、いよいよ腹に当てようとすると一分も
切れない。
己が卑怯を嘆きながらも、きょうきょうたる
白刃を見ると妙に心は澄みわたり、
理性が頭をもたげてきた。
「もう一度死力を尽くしてやってみろ。
切腹はいつでもできる。
盲目の塙保己一は630巻の群書類従の内容を
ことごとくその頭脳の中にしまっていたのだ。
たった一冊の財政原論が頭の中に入れられぬ
ことがあるものか!」
自分で自分を叱りつけながら、気を取り
直して再び勉強を始めた。
だが、やってみるとまたダメ。
刀を取り出す。
またやってみる。
そんなことを繰り返しながら、不安焦燥の数日を過ごす
と、不思議にも一週間ののちに、ようやく精神が統一
されてきて、驚くほどの暗記力がついてきた。
ついに1日4、5ページの行程で進み、かつ翌日に
なっても暗誦でき、さらに10~15ページ、
時には20ページも進むことさえあった。
勇気100倍した私は、昼は孜々として暗誦に
つとめ、夜になると下宿の主人や娘に発音
や辞句の不熟を訂正してもらった。
かくて弛まず続けること1ヶ月、ついに題さえ
いわば、どこでもすらすらと一句も違わずに、
質問に答えられるようになった。
そして博士号に合格した。
帰国後、「4分の1貯金」と共に、25歳から始め
たのが、「1日1ページ」の文章執筆であった。
これは1日1頁分以上の文章、それも著述原稿と
して印刷価値をもつものを、毎日書き
続けるという「行」である。
職業を道楽化する方法は、ただ一つ、勉強に存する。
努力また努力のほかはない。
あらゆる職業は、あらゆる芸術と等しく、それに
入るに、はじめの間こそ多少苦しみを
経なければならぬ。
しかし、何人も自己の職業、自己の志向を天職と
確信して、迷わず、疑わず、専心に努力する
からには、早晩必ずその仕事に面白味を
生じてくるものである。
とにかく、後藤新平は、私ばかりでなく、あらゆる
一芸一能、ないし一癖ある人物を隔意なく近づけ
各人それぞれの長所、持ち駒をよく調べて
おいて、有事のときに、有用な人材を、
それっとばかりに活用し、利用
するという天才的存在であった。
人を使い、人を動かす包容力と器量がきわめて
大きかったようである。
これが、ついに後藤を後藤新平伯爵の大にまで
なすに至った、最大要素だったと私は考える。
本多静六
『自伝・体験八十五年。努力と奮闘の一代記』
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今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。 感謝!