女優の古尾谷登志江さんは映画の共演で
知り合った雅人さんと結婚します。
雅人さんはトレンディードラマで
一躍時の人となりますが幸せな結婚生活
は10年と続きませんでした。雅人さんは酒に
溺れ、暴力を振るうようになったのです。
その耐え難い状況を、古尾谷さんは
どのように乗り越えられたのでしょうか。
『致知』2021年12月号「致知随想」から
お話の一部を紹介します。
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(古尾谷)
私は子供の頃から一人で暮らしてきました。
両親は戦後、中野で小さな寿司屋を営んで
いましたが、愛情をかけてもらった記憶は
ありません。
店の隅の蜜柑箱に入れられていた
幼い私の記憶にあるのは、
酔って殴り合う男たちの姿や女性たちの嬌声、
時折やってくる借金取りの怒号でした。
自宅を兼ねた四畳半の店はあまりに狭く、
私は小学一年生の時に両親や弟と離れ、
近くの古びた長屋で独り暮らしをすることに
なりました。
朝は一人でパンを食べ、
夜は店で夕食を、時には弁当で済ませます。
冷蔵庫もない時代だったので、腐りかけた
おかずを口にしてしまうこともありました。
そういう生活が普通だとすら思っていたのです。
15歳の頃からアルバイトをしたり寿司屋を
手伝ったりしている時にスカウトされ、
私はモデルと女優の道に進みました。映画の共演
で知り合ったのが夫となる古尾谷雅人です。
女優業を一時休止し五歳年下の彼と結婚したのは
1982年、30歳の時でした。
夫はトレンディードラマで一躍時の人となり、
2人の子供にも恵まれて結婚生活は順調でした。
しかし、そういう幸せな生活は10年と続きません
でした。夫は仕事を選り好みするようになり、
依頼が減るにつれて自宅に引きこもったまま
酒に溺れる日々。マンションのローンの返済
にも事欠くようになったのです。
夫はやがて家の中の物を壊すことが多くなり、
それは私への暴力に発展していきました。
夫が凶暴になる瞬間は、
不思議なことに目の色がグレーに変わります。
手足や腹部、時に顔面までも激しく殴られ、
まるで試合後のボクサーのように
顔が腫れ上がったこともあります。
しかし、夫がテレビで刑事役をやっている手前、
病院に行くこともできず、自宅で静養を続け
ました。後に診察を受け、全治11か月と
診断された時、事態の深刻さを改めて
思い知らされました。
追い詰められた私の救いは、その頃出会った
一人の師でした。「起きる出来事には意味が
ある。この試練を受け止めてこそ道は開かれる」
という師の言葉を何度も復唱するうちに、
いつの間にか心が穏やかになっていきました。
考えてみれば、夫も実母の愛情を知らずに
育った過去があり、似たような境遇を生きた
からこそ理解し合える部分があったように
思います。
私の両親も夫も、自分の魂を磨く
ために存在してくれていると思えば
憎しみが少しずつ溶けていくのを感じました。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!