自分自身を客観的に見つめ直せば.おおよそのことはわかる 第 1,818 号

本日は『経営に生かす易経』の中から、
「易経はなぜ帝王学であるのか」
という項目をご紹介します。

…………………………………………
易経はなぜ帝王学であるのか
…………………………………………

小人は「そもそも人間たるもの」なので、
小人はきれいな人を見たら
誘惑に乗っかりたくなります。

好みの女性からお金を貸してくれと言われたら、
女房に隠れて貸せる範囲でお金を貸したく
なります。事故を起こしたら、逃げたく

なるのが小人です。

問題を起こしたら、なんとかその問題が
外に知られないようにしたがるものなのです。

易経が帝王学の帝王学たる所以は、
一般的な小人がどのようなことをするのか、
それらがすべて書かれていることにもあります。

私という人間は、環境や条件が良ければ、
他の人の助けになったり、世の中のためになる
素晴らしいハタラキができる。

しかし条件が悪ければ、環境が悪ければ、
そもそも人間というものは
だいたい悪いことをしてしまう。

環境が悪く、その時の条件が
とんでもなくひどい条件であれば、
どこまでひどいことをやるかわからない。

「それがそもそも人間だよ」と言っています。

易経にはありとあらゆる時が書かれているの
ですが、その中の時中、その時にピッタリの
ことをすればいいよという解決策、
それができるのは君子だけで、小人、
いわゆる普通の人間はたいてい
ろくでもないことをやると書かれています。

その故に小人は人間的であり、
自分のことでなければ可愛いものです。

しかし、リーダーの立場にあり、
責任を預かる立場に立っているのなら、
「それくらいは可愛いものだ」
などとは決して言えません。

個人としてみたら、その人の失敗、
恥だけで終わります。

しかし、一つの会社の社長が、
自分勝手で人間的だからといって
可愛いものだとは言われないのです。

会社を潰したらどうなるか、
自分だけではない、従業員、従業員の家族、
得意先、消費者、地域経済、すべてに迷惑を

かけることになります。

一国のリーダーが人間的だから
可愛いものだとかでは済みません。
国が滅びます。

だから私たち一人ひとりは小人でもいいし、
小人の考えそうなこと、どんな時に小人が
どのようなことをやるのか、
それを知っておくべきなのです。

易経には、こんな時になったら、
自分がやりそうなことや、
「もし私に責任感がなかったらこうしたく
なるなあ」ということが全部書かれています。

自分に限ってどのようなひどい立場に立た
されても、どんな条件が悪くても、
そんなことをするわけがないと
いうふうに考えたとしたら、
それほど困ったものはありません。

それは自覚なき最も恐るべき小人です。
自分の中の条件が悪い時にしそうなことは陰です。

もし責任感があって責任ある立場で、
その時にピッタリのことをしたら、
それは君子のやり方です。

私たちは君子のやり方を学んでいますが、
それだけではなく、小人のやり方、
小人の考えそうなこと、
つまり小人もいろいろな立場で
いろいろとやり方が違うことを知るべきです。

それを知ることによって、
要するに皆さんが責任ある立場であれば、
その会社の従業員の一人ひとりが
その立場に立った時に
どのようなことをしたくなるのか、
どのようなことをしてしまうのかが
見えるようになります。

そして、そもそも人間たるものはという立場に
立って、自分自身を客観的に見つめ直せば、
おおよそのことはわかるようになると教えています。

易経には、君子のやり方だけではなく、
小人がやりそうなこともすべて書かれています。

だからよけいにこれは帝王学とされたのです。
帝王はこういうことをしなければ
ならないというだけではありません。

致知出版社の人間力メルマガ

 今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

スポンサードリンク

♥こちら噂の話題満載情報♥

ぜひ、いいね!を「ぽちっ」とお願いします

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください