京セラやKDDIを創業し、
不可能と言われた日本航空の再建を
成し遂げた稲盛和夫さん。
いまから約18年前、
月刊『致知』2003年7月号の
「巻頭の言葉」では、
美しい〝利他〟の心を育むために
いま私たちが学ぶべき
「反省」の習慣について説かれています。
─────────────────
〈稲盛〉
私は洗面をするときに、猛烈な自省の念が
湧き起こってくることがあります。たとえば、
前日の言動が自分勝手で納得できないときに、
「けしからん!」とか「バカモンが!」などと、
鏡に映る自分自身を責め立てる言葉が
つい口をついて出てくるのです。
最近では、朝の洗面時だけでなく、
宴席帰りの夜などにも、
自宅やホテルの部屋に戻り、
寝ようとするときに、
思わず「神様、ごめん」という「反省」の言葉が
自分の口から飛び出してきます。
「ごめん」とは、自分の態度を謝罪したいという
素直な気持ちとともに、
至らない自分の許しを創造主に請いたいという、
私の思いを表しています。
大きな声でそう言うものですから、人が聞いたら、
気がふれたと思われるかもしれません。
しかし、一人になったときに、思わず
口をついて出てくるこの言葉が、私を戒めて
くれているのではないかと思うのです。
このことを私は、自分自身の「良心」が、
利己的な自分を責め立てているのだと理解して
います。
人間は、理性を使って、
利他的な見地から常に判断ができれば、
いつも正しい行動がとれるはずです。
しかし実際には、そうなっていません。
往々にして、生まれながらに持っている、
自分だけよければいいという利己的な心で判断し、
行動してしまうものです。
それは、たとえば自分の肉体を維持するために、
他の存在を押しのけてでも自分だけが
食物を独占しようとするような貪欲な心のこと
ですが、そのような利己的な心は、自己保存の
ために天が生物に与えてくれた本能ですから、
完全に払拭することはできません。
しかし、だからといって、
この本能にもとづく利己的な心を
そのまま放置しておけば、
人間は人生や経営において、
欲望のおもむくままに、
悪しき行為に走りかねません。
「反省」をするということは、そのように、
ともすれば利己で満たされがちな心を、
浄化しようとすることです。
私は「反省」を繰り返すことで自らを戒め、
利己的な思いを少しでも抑えることができれば、
心のなかには、人間が本来持っているはずの
美しい「利他」の心が現れてくると考えています。
(※本記事は月刊『致知』2003年7月号
巻頭の言葉「反省ある日々をおくる」
より一部を抜粋・編集したものです)
─────────────────
★稲盛和夫氏の『致知』へのメッセージ
心を高める、とはどういうことなのか。
それは生まれたときよりも少しでも美しい心を
重ねつつ、生ある限り生き抜くことだと考えて
います。また、そのような美しい心へと、
もって生まれた自分の心を
変化させていくことこそが、
我々が生きる目的です。
さまざまに苦を味わい、悲しみ、悩み、
もがきながらも、生きる喜び、
楽しみも知り、幸福を手に入れる。
そのようなもろもろの様相を繰り返しながら、
一度きりしかない現世の生を懸命に生きていく。
その体験、その過程を磨き砂として己の心を
磨き上げ、人生を生ききる。その道標としての
存在が『致知』にはあると思います。
日本人の心の拠り所、そして人間の善き心、
美しき心に光を当てる良書として、今後も燦然
と輝き続けることを心より願っております。
───────────────────
致知出版社の人間力メルマガ
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!