高橋是清は末松謙澄(のりずみ)と
知り合い、交換教授を行った。
是清が末松に英語を教え、
末松は漢学を教えた。
もちろん、是清はありきたりの
教え方をするつもりはなかった。
それでも、いきなりピーター・パーレー
の『万国史』を教本に使って教えたの
に、末松はしっかりついてくる。
見込んだとおりの、いやそれ
以上に優秀な男だった。
末松の優秀さは普通ではない。
英語の覚えの早さだけでなく、漢学
の力もずば抜けたものがある。
それは互いに教えあって実感した。
是清自身はというと、英語は自在に
操れるものの、いざ日本語に翻訳
する際に、漢学の素養がいま
ひとつ欠けているのを
身に染みて感じる。
日本語の訳文に重みが出ないのだ。
漢学は日本知識人の基本中の
基本だった時代である。
是清はペルーの鉱山事業で失敗した後、
日本銀行の川田総裁から誘いを受ける。
ただ、是清は実業界は初めてとのことで、
「丁稚奉公」からの開始を希望した。
そこで、37歳で日本銀行の新庁舎
建設の建築所事務主任となる。
ついては、せっかく望み通り「丁稚
奉公」から始められたのだからと、
まさに実業界の一年生のつも
りで、手当たり次第に勉強を始めた。
資材管理の業務や、為替を通じた
資金決済の事務はもちろん。
それだけにとどまらず、銀行業務全般に
ついて、あるいは経済全体についても、
是清は着実に研究を進めていった。
幸い、日銀の局内には、海外から
届く何種類もの新聞や雑誌が
常時備え付けてある。
ウィークリータイムズ、エコノミスト、
バンカース・マガジン、シカゴ・
トリビューン、ロンドン・
グラフィック、ニュー
ヨーク・ヘラルドなど。
官報局の川田徳二郎の厚意で、
研究資料には事欠かない。
大蔵省からは、内外銀行法令集なども
借り受けて、時間を惜しむよう
に読み耽った。
川田小一郎総裁は、是清の仕事振りを
見て、高橋是清という逸材を見出し
たおのれの目が、正しかった
ことを、あらためて実感することになった。
現状を正しく把握し、その問題点
を冷静な視点で分析する。
そのうえで、自由かつ柔軟な発想と、
周到な策をもって、果敢に、しか
も現実的に解決していく。
そんな是清は、それから数ヶ月後、
ついに日本銀行の正社員として
採用されることになる。
「丁稚奉公」で入行して以来、さまざま
な海外の情報や法令集などを読み漁り、
緻密な研究を積み重ねてきたこと
が、いよいよ実務に活かせる
機会がやってきたのだ。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!