英国との絆を必死に取り戻そうとした人間の姿 第 653 号

 ヒロヒトの全てを報告せよ—-。インテリ

ジェンス先進国の英国は、かつて七つの海

を支配した情報網を駆使し、敵対関係と

なった太平洋戦争前後も、わが国を

冷徹に見つめ続けていた

 とりわけそのターゲットとなったのは、

日本のトップ、”天皇裕仁”だった

 退位計画、カトリック改宗説、

皇室の資産隠匿疑惑。

 そして、天皇の“名代”として動いた

吉田茂、白洲次郎の暗躍まで

 何から何まで、英国に筒抜けだったのだ。

 ロンドンの公文書館に眠っていた、

知られざる昭和天皇の真相!

 「過去をより遠くまで振り返ることができれば、

未来をより遠くまで見渡せるだろう」

(ウィンストン・チャーチル、英国宰相)

 英国系投資銀行S・G・ウォーバークの幹部として

東京支店長も務めた、クリストファー・パービス

は、若い頃、白洲次郎に薫陶を受けた。

 彼らにとっても、今なお白洲は謎の人物だ

 特筆すべきは、その異常なまでの秘密主義だ。

 クリストファーは証言する。

 「次郎は吉田茂首相の右腕だったと聞きましたが、

なぜ彼が戦後、あれほど力を持っていたか

分からないのです。

 また彼は普段、手紙もメモも作成せず、口頭で

メッセージを伝えることが多かった。

 電話でも多くを語らず、アポなしでぶらりと

オフィスを訪ね、用件だけ言うと、

すっと消えて行きました。

 だから彼のメモすら残っていないのです」

 ジグムンド・ウォーバーグ卿といい、シェル

会長のジョン・ラウドンといい、白洲次郎の

海外人脈には欧米ビジネス界の大物が目立つ

 それも単なる社交儀礼的な付き合いでは

なく、濃密なものだ。

 かつて英国は世界の陸地の4分の1を支配し、

7つの海を自由に航海する世界帝国だった。

 インドやアフリカなど広大な植民地と強大な

軍事力は、日の沈まぬ大英帝国と形容された。

 その覇権を支えたのが、彼らのずば抜けた

情報収集・分析能力だった。

 全世界に散った外務省、国防省、SIS(通称

MI6、英国秘密情報部)の要員は、現地

から様々な情報を送ってくる。

 その国の政治・経済情勢はむろん、有力者の

性格、健康状態、はては王室の内部

事情と多種多様の内容だ

 また各地に滞在する医師、商人も、仕事上

知りえた情報を自発的に提供してきた

 これらは本国で綿密に分析ファイルに蓄積

された後、外交交渉で活用されてきた

 その膨大な文書を保管しているのが、

ロンドン郊外にある英公文書館だ

 周囲を緑に囲まれた静寂な環境にあり、15世紀

以前にさかのぼる英国政府の膨大な

文書が眠っている。

 大英帝国の英知が凝縮されたような場所だ

 この英公文書館に私が興味を持ち始めたのは、

1990年代はじめ、英国ロイター通信で特派

員として働いていた頃だった。

 ここには幕末から現代に至る多くの

日本ファイルが含まれる。

 明治、大正、昭和を通じ、駐日英国大使館

などが本国に送った報告書だ。

 英国の視点で日本の現代史を見ると歴史の

実像が浮かび上がる体験が何度もあった。

 ロイター通信退社後も、仕事やプライベート

で渡英する機会が多かったので、その度

に公文書館に足を運んだ。

 そこで発見した文書を元に、存命する関係者

を探し出し、当時の秘話を聞くのが

趣味の一つになった。

 かねてから英国は、植民地や同盟国の留学生

を積極的に受け入れてきた。

 その対象は各国の王族から政治家、

官僚と多岐に渡った。

 彼らの多くは、ケンブリッジやオックスフォード

など名門大学に入学し、英国の上流

階級と親しく交流する。

 帰国後も彼らは、かつてのクラスメート

との親交を絶やさない。

 やがて、ある者は王位を継ぎ、

ある者は政府の要職に就く。

 そうやって築いたパイプは、英国が世界中

で情報収集や外交を行う上で、貴重な

アセット(資産)になる仕組みだった。

 通常、英国政府は公式の外交ルートを

通じて各国の情報収集を行う

 だが国によっては外交官が

警戒される場合がある。

 そこで考えたのが、石油や金融業界で活躍

するビジネスマンを利用することだった。

 仕事で世界中を回る彼らなら、

怪しまれる恐れはない。

 英国政府にとっては、ジャーナリストや

作家も貴重な情報源だった。

 英国宰相チャーチルは、ずんぐりした体型に

蝶ネクタイ、禿げ上がった頭が特徴だった。

 片手に愛用のステッキを持ち、

口から葉巻を離さない。

 一日8本はくゆらす愛煙家で知られた。

 スマートな英国紳士と程遠い、ユーモラス

ともいえる雰囲気を醸し出していた。

 しかし彼の頭脳はその風貌とは正反対だった

 幼少の頃から名門ハロー校で教育を受け、

卓越した弁舌、文筆力を備えていた

 1940年5月10日、ドイツが快進撃を続ける中、

チャーチルは首相に就任した。

 6月18日、彼は議会で演説した。

 「われわれは各自奮励して義務を遂行しようではないか。

 そして、大英帝国がなお千年続くものならば、

その時、人々はこう言うであろう。

 『これが彼らの最良の時であった』と

 まだ見ぬ大英帝国の子孫が今の自分たちの

戦いを見ている。

 このチャーチルの言葉に、意気消沈した

国民は奮い立ったのだった。

 英国政府は、天皇を中心に皇族の

ファイルを積み上げていった。

 その対象は、皇族各員の性格、政治的コネク

ション、GHQの評価など多岐に渡った。

 これらの情報はバッキンガム宮殿の秘書を

通じ、英国王にも回覧された。

 日本の天皇家が敗戦の試練をどう生き延びるか、

彼らも見守っていたのだった。

 ある意味で、白洲次郎とは、占領期に出現

した国際的ブローカーだったといえる。

 彼の人脈、性格、語学力が時代のニーズと

見事に一致したのだった。

 現在、日本では「GHQに抵抗した唯一の日本人」

「ダンディズムを極めた男」などといった

白洲のイメージが広がっている。

 彼をナショナリズムの象徴として扱う向きすらある。

 だが、彼の友人や英外交文書を通じて浮かび上がる

白洲像はそれとは大きく異なっていた。

 それは不幸な戦争で傷つき、英国との絆を必死に

取り戻そうとした人間の姿だった

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今回も最後までお読みくださり、ありがとう

             ございました。感謝!

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