英国とフランスは非公式で大量の鉱物を支配していた 第 2,859 号

 経済制裁は、国際平和を乱した国への懲罰メカ

ニズムとして、近年、多用されてきた。この

経済制裁は、第一次世界大戦後の国際秩序

を構築する中で誕生したものだ。当時、

経済制裁は「経済兵器」とも呼ばれ

ていた。というのも、大戦で敗者

となったドイツ帝国やオースト

リア=ハンガリー帝国、中東

などで経済制裁が多くの餓死者を

もたらした生々しい記憶を伴っ

ていたからだ。

 本書は、第一次大戦後から第二次世界大戦勃発

までの30年間に、どのように経済制裁が生まれ、

現代のような形に発展してきたのかを英米仏の

制裁主義者、国際主義者らの議論や各国の

思惑を膨大な資料をもとに、気鋭の米国

人歴史学者が描いたものだ。 ロシアも

自国資源の石油、ガスを武器にして、

中国などと連携する動きを見せる

など、ウクライナ戦争が「経済

戦争」の様相も呈している中、

これからの世界経済を考える

うえで必読書といえる。

 経済兵器によって断ち切られる可能性がある

のは、物品貿易、資金の流れ、外貨準備、エ

ネルギー供給、戦略的インフラ、そして

海運である。

 制裁は、欧米が経済的・帝国的支配の時代に、

欧米によって開発されたものである。

 その他の世界は、通商ルートを迂回する目的地

としての役割を果たすほど豊かではなかった。

こうした状況は今日、もはや存在しない。

 制裁によって、国際政治に利用できる手段は広

がったが、同時に政治的成果は、明らかに限

られている。

 現在の世界が、戦間期の不安定な秩序に似て

きたもっとも顕著な点の一つは、2022年2月

以降の大規模な対ロシア制裁が世界市場に

与えた影響である。

 これほどの経済規模の国が、国際的な制裁の

標的になったのは、当時世界7位の経済大国

であったファシスト・イタリアのエチオピ

ア侵略を罰しようとした、国際連盟の

試み以来である。

 かつて、燃料管理をグローバルな懲罰手段に

変える唯一の方法は、米英がオランダと

協力することだった。

 オランダは、ロイヤルダッチシェルを通して

中東および東南アジアの石油生産の重要な

シェア、特に、東アジアの主要石油産地

である、オランダ領東インドを支配していたのだ。

 世界石油市場における米英蘭の優勢は、世界の

鉱物生産のより幅広い集中を象徴していた。

1938年には、10ヶ国が世界の鉱物の

71%を支配していた。

 そして米国は、単独で世界の鉱物の

29%を自由にできた。

 英国とフランスは、本土には石炭と鉄のほかは、

多くの鉱物を蔵していないが、植民地帝国で、

そして海外で活動する私営企業を通して

非公式で大量の鉱物を支配していた。

 これらの隠れた法人保有資産を国の総計に含め

ると、鉱物の実際の集中は、さらにいっそう

極端になる。英米が、51%を支配し、米

英仏独ソによる寡占が、世界の供給

の74%を占める結果になった。

ニコラス・ミュルデル (著), 三浦 元博 (翻訳)

『経済兵器。現代戦の手段としての経済制裁』

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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