草木染め作家の坪倉優介さんは、18歳の時の
交通事故で記憶のほとんどを失われました。
喜怒哀楽の感覚さえなくしてしまった坪倉さん
は、長い年月をかけて言葉や感情を取り戻し、
現在は大阪市内に工房を構え、
創作活動の傍ら着物や
染め物の魅力を伝え続けていらっしゃいます。
坪倉さんはいかにしていまの世界へ導かれたのか。
師匠・奥田祐斎さんの衝撃的な教えとは。
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(――染め物との出合いについてお話しください。)
〈坪倉〉
僕は高校時代に染め物に興味を持ち始め、大学
では工芸学科で染織を学んでいたようなんです。
復学した後も染めの授業を通して
いろいろな色をインプットしていたのですが、
ある授業で自分の思いをリセットさせられる
ような大きな衝撃を受けました。
その日のテーマは草木染めでした。
いつもは作業場にある染料で染めるのに、
その日はなぜか山に入っていくんです。
そして落ちている葉っぱや木切れを拾う。
それをいつものように熱い鍋の中に入れると、
水が茶色に染まっていく。
「なるほど、茶色い染液をつくるのに木を使う
のか」と思って見ていると、驚いたことに
染液に浸した白い布が黄色に染められていました。
さらに、その布を振ると段々と緑色に変わり、
そのうちに青色に変わる。
それは藍染めの授業だったのですが、
僕はたちまち草木染めに魅せられてしまいました。
(――人生を変えるほどの出来事だったのですね。)
〈坪倉〉
まるでそれまでのルールがどんどん
覆されていくような感覚でした。
「これはもっと研究しなければ」と思い、
専攻科に進んで染めに没頭しました。
結果的に学生生活は7年と人よりも長かったのです
が、その後、染織作家の奥田祐斎先生に入門し、
独立後は染めを自分の仕事にできたことを思うと、
草木染めは新しい人生に繋がるきっかけになったと
思います。
(――奥田先生とはどのように知り合われたのですか。)
〈坪倉〉
僕は就職活動に大きな後れを取っていました。
染めの仕事を探すために大学の就職センター
で見ていたファイルに、たまたま覚えたての
「夢」という漢字を見つけ、読んでいくと
「着物の染めの仕事」と書かれてある。ここだと
思って、奥田先生の染工房・夢祐斎(京都市)に
すぐに問い合わせをして、会っていただいたん
です。
ほんの数分で終わると思っていた面接が
2時間も3時間も続いて(笑)、
「どうしてこんなに長い期間大学に行ったんだ」
と聞かれた時、何もかも正直に言おう、
駄目ならそれで仕方がないと思って
事故の経緯からこれまでのことを
すべて打ち明けました。すると師匠は
「そんな状態から、こんな短期間で
よくぞここまで成長した。
面白いじゃないか。明日からうちに来い」と。
(――すべてを承知で受け入れられた。)
〈坪倉〉
はい。師匠に教えられたことはたくさんあり
ますが、はっきり言えるのは師匠は僕とは
考え方や行動が正反対だったんです。
僕は失敗するのが怖くて慎重に慎重に
事を進めるタイプなのですが、
先生はそうではありません。
先輩が帰った後にこっそり練習する
僕を見てこうおっしゃいました。
「そんなに慎重になって失敗するくらいなら、
まずやってみろ。それで失敗したら、
それは自分の足りない部分なのだから、
そこを改めて次に挑戦するんだ。
練習なんかないんだ。常に本番なんだよ」
そうして、その場でいきなり
本番用の生地を張って集中力と
緊張感を持って染めるよう指導を受けたんです。
(※本記事は月刊『致知』
2020年2月号 特集「心に残る言葉」より
一部を抜粋・編集したものです)
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!