遺品整理の第一人者として全国の現場を
飛び回るメモリーズ社長の横尾将臣さん。
その人々の心に徹底して寄り添う仕事の姿勢は、
大きな反響を呼んできました。
「遺品整理は心の整理」と説く横尾さんの
歩みと実践から見えてくる、人生の出会いと
別れ、悲愁を越えてよりよく生きる要諦、
これから日本が取り戻すべき社会のあり方とは――。
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〈横尾〉
……勤めた民間企業の仕事は続かず転職。
月給15万円の派遣社員として働き、「このまま
俺の人生は終わるのか」と、暗澹(あんたん)
たる気持ちで過ごしていたのですが、そんな
ある日、偶然、遺品整理会社の求人募集を見つけ、
「これだ!」とすぐに飛び込んだのでした。
2006年、37歳の時です。
ところが、実際の遺品整理の現場は思い
描いていたものとは全く異なるものでした。
特に孤独死して長い期間発見されなかった
場合の現場は凄惨で、体力的には耐えられても、
体から臭いが取れないなど、
精神的に辛いものがありました。
それに当時はまだ業界全体のモラルが低く、
競争相手も少なかったため、
遺品を不用品として処分したり、遺品整理
の価格設定や処分方法も不透明でした。
ある現場に派遣された時のことです。
お客様と見積もりの打ち合わせをし、
90万円で受ける旨の確認をするため、
会社の幹部に電話をしました。
すると、お客様が目の前にいるにもかかわらず、
「どうしてもっと150万円、
200万円だと言わんのじゃボケが!
だから大阪の売り上げは悪いんじゃ!」
と怒鳴られたのです。
その会話を聴いていたお客様には、
「横尾さんはいい人だけど、そんな幹部が
いる会社には頼むわけにはいかない」
と当然断られました。
お客様にすみませんでしたとお詫びをし、玄関
のドアを閉めた瞬間、涙がどっと溢れました。
そしてすぐ会社に折り返しの電話をかけ、
「ふざけるんじゃない。金だけの仕事か!
こんな会社、もう辞めてやる!」と、
泣きながら退社を告げ、自ら遺品整理の会社
を立ち上げる決意を固めたのです。
2008年、かつての同僚、妻と3人で
メモリーズを創業。妻には反対されるのでは
ないかと心配でしたが、逆に「会社で一番に
なるか、独立するか、どちらかを選んで」
と背中を押してくれ、創業後もいろんな
相談に乗ってくれています。妻の理解が
なければ、いまの自分はなかったでしょう。
この業界に入った時から、遺品整理の仕事は
単にものを片づけるだけではない、人の悲しみに
寄り添い癒す仕事なんだという信念がありました。
実際大変な現場の作業を終えると……、
★続きは本誌でご覧ください。横尾将臣さんの
記事には、
●紆余曲折を経て遺品整理の仕事に飛び込む
●葬儀は肉体的な別れ、遺品整理は精神的な別れ
●現場から見えてくる日本社会の現実
●人と人の繋がり、感謝に溢れた社会を
など、多くの人々との関係の中で幸せに生き、
また満ち足りた最期を迎えるためのヒントが満載
です。詳細はこちら
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!