交渉は、男児世に処する道。けちな了見で何が
できるものか―坂本龍馬と西郷隆盛が当代
随一と驚愕した勝海舟の外交手腕。
勝海舟は、島田虎之助の勧めで牛島の弘福寺
へ禅の修行に通った。かれはのちに、「この
座禅と剣術とがおれの土台となった。幕府
が瓦解の時分、万死の境を出入りして
ついに一生を全うしたのは、この
2つの功であった。勇気と胆力
は、この2つに養われたの
だ」と語っている。
「ナニ、誰を味方にしようなどというから、
間違うのだ。みんな、敵がいい。敵が
いないと、事が出来ぬ」
動乱の幕末、生死の境を切り抜けて新しい
時代の基礎を築いた勝海舟は、昂然
と言い切っている。
敵であった薩長からはもとより、味方だった
幕府内部からも、憎まれ、疑われて、何度
も襲撃された海舟だが、その小柄なから
だにも似ない豪胆さと、遥かに遠く
まで見通していた慧眼には、並
ぶものはなかった。
これが、あの歴史的な西郷隆盛との会見を
はじめ、数々の交渉において、絶対に不
可能とも思われた難問題を、見事に
乗り越えさせた底力となったのである。
「全体、なにごとによらず、気合ということ
が大切だ。この呼吸さえよく呑み込んでお
れば、たとえ死生の間に出入りしても、
決して迷うことはない」
「俗物は、理屈づめに世の中のことを処置
しようとするから失敗のしつづけだ。あれ
などは、理屈以上のいわゆる呼吸という
ものでやるから、容易に失敗もせぬ」
(勝海舟)
「みんな、敵がいい」なまじ自分にとって
頼りになる「味方」がいると、そこにかえ
って隙や甘えが生じるものだ。すべてが
敵であれば、言い訳も逃げ道もない。
何もかも自分の責任で戦う以外
にはない。海舟は、このほう
が戦いやすい、と言っている。
私利私欲を離れた人は強い。大事件に遭遇
すれば命も惜しまない。ここまで行けば
「おもしろ味がついて」くる。われ
われもその境地に近づけば、難事
を変じて「おもしろ味」にする
ことが、決して不可能ではない。
海舟が、幕府の最高幹部が列座する公的な
会議の場所へ、初めて出た時のことだ。彼
はそんな雰囲気もまったく気にすること
がない。正々堂々、恐れず、すくまず、
おもねらず、実に気持ち良く、雄弁
に所論を展開した。その胆力には
老中以下すべての人々が感嘆した。
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