どんなに人が変わろうと、もてなしの心はこの
国のために残しておきたい。
美と食の求道者・北大路魯山人のもとでこま
やかなもてなしの心を学んだ著者による集成。
心入れ、思い入れ、心づかい、思いづくり、
心づくし、など、いろいろ言われるが、要
するに、ものや技に心を込めることである。
茶の湯では、とりわけ、繊細な心づかいが
ほんのわずかなことの端々にもこもって
いることを貴ぶ。
心入れが深く、また広く行き届くためには、
まず人の心を深く、また広く読み取る、思
い取ることができなければならない。
思いやりの深さは、思い取ることの深さ
である、と言われるゆえんである。
しかし、また、人の心を読むことは、
自分の心を読むことである。
安土桃山時代の武将たちは、器選び、
器づかいを茶の湯から学んだ。
合わせて、もてなしの心を会得した。
武将たちにとって、茶の湯はたいせつ
な教養の一つだった。
翻って近代の実業界にあっては、茶の湯は
実業家同士の交誼の重要な手立てであった。
同時代の実業界の大立て者、根津嘉一郎、
五島慶太、小林一三、松永安左衛門など
も数寄茶人として名高く、これらの
数寄者が生涯かけて集めたコレク
ションは、美術館として残されている。
根津、五島、小林、松永といった人達と
星丘茶寮を舞台に親交のあった北大路
魯山人は、かねがね「茶のない人間
という者はしかたのないもの
だね」と、言っていた。
そして、「茶の教養をまったく欠く者、これ
ばかりは誠に味気のないもの、カサカサばか
りしていて人間滋味のうるおいがない。
つまらない趣味はもっていても高雅は知らない。
心のいたらぬだらけが何かしら
気の毒に感ずる」
魯山人はかねがね、料理人に求められる
ものは、臨機応変、当意即妙の才覚で
ある、といっていた。
彼は料理屋料理を排撃し、手を加え過ぎた
細工料理を極端なまでに嫌った。
会話はごちろう、もてなしの一部。
お客さんをお迎えするときには、その日の
ディナーが成功するかどうかは料理の
おいしさももちろんですが、会話
が弾むかどうかで決まる。
なごやかな雰囲気になれば、たとえ肉の焼け
ぐあいが、よくなくてもさほど気にならない。
たしかに話題を豊富にもつことは、それだけ
で立派なごちそうの腕をもつことになる。
会話はごちそうであり、礼を尽くした
もてなし、なのである。
ディナーパーティの成功は、このように会話が
はずみ、お互い打ち解けあって、ひとつの
雰囲気に浸れるかどうかで決まる。
平野雅章『魯山人:もてなしの真髄』
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今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。感謝!