脳性麻痺のため話すことも
体を動かすことも
思うようにできない堀江菜穂子さん。
しかし、堀江さんはベッドに寝たきりの
生活を送りながら、これまで筆談により
数多くの詩を紡いできました。
堀江さんはなぜ詩をつくり続けるのでしょうか。
───────────────────
私はテレビを見ながら
「面白い」と感想を言おうとしても、
それを話すことができません。
朝起きて寒いと感じても、
それを伝えることができません。
「言いたくても言えないこと」とは、
例えばそのようなことです。だから、
詩は私にとって意思そのものなのです。
自分の詩を誰かに読んでもらおうと
いうようなことは全く考えていません。
思いはすべて自分の心の中のこと。
私が詩に何か思いを込めているとするなら、
それは私の魂の解放、
苦しい自分から逃れることです。
・ ・ ・ ・
たびだちのとき
たくさんのじぶんとたたかってきた/
だいすきなじぶん/だいっきらいなじぶん/
こどもみたいなじぶん/
どれもじぶんであって じぶんではなかった/
わたしというにんげんは/
いったい どれがほんものなのだろう/
じもんじとうのまいにちだった/
いまわたしには こたえらしきものがみえてきた/
それはじかんがおしえてくれた/
いまこのときにおもうのは/
けっきょく すべてはじぶんだったのだと/
じぶんでじぶんをみとめてやったら/
ボロボロとおとをたててくずれていった/
じぶんがつくりあげていただけの じぶんじしん/
ひとりぼっちになったわたしの/
これが たびだちのとき
・ ・ ・ ・ ・
自分の意思を人に伝えることができない時、
あまりの苦しさに私の心は音を立てて
割れました。
バラバラになった心は自分のものなのに、
思春期の私にとってそれを認めるのは
とても難しいことでした。
時間が経って、その一つひとつを
認められるようになった時、
すべては自分だと気づいたのです。
※本記事は『致知』2020年1月号
「自律自助」から一部抜粋・編集したものです。
致知出版社の人間力メルマガ
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!