「陰の実力者たち」を完全網羅した決定版!
戦後日本の「支配者」たち、その
「伝説」と生きざま。
戦後の日本において、権力者を動かし、あるい
は多大な影響力を与える指南役たちがいた。
フィクサー、政商‥‥‥‥人はかれらを
「黒幕」と呼び、真の実力者たる
彼らは畏怖を抱かせる存在と
して闇に君臨した。
だが、時代は移り変わった。突出したカリスマ
性で日本を支配する存在は消え去り、情報力
と集合知で権力者に貢献し、彼らを操
るのが現代の「黒幕」である。
真の実力者は常に隠れた場所にいるという日本的
な権力構造はさらに細分化され、三重、四重の
多重構造となって意外な権力者たちを
生み出している。
かつては隠然たる「実力」を持つと恐れられた
官僚組織も、現代においてはその限りでは
ない。その移り変わりの早さもまた
現代の特徴である。
自民党税制調査会では、かつてどんな決定を
したとしても噴出する不満をじっと受け
止めなければならない。
戦後の日本においても、その困難な仕事を
半世紀近くにわたりほとんど1人で引き
受けていた政治家がいる。「ヤマ
サダ」こと山中貞則である。
故人であり、元衆議院議員だ。
自民党税制調査会(党税調)は圧倒的に力を
持っていた。その「党税調のドン」こそ
山中貞則であった。税制における、
肝心の税率の数字、増減税の
決定はすべて山中を中心
とする「インナー」
と呼ばれた党
税調メンバーが決定していた。
山中は、1958年、岸内閣において大蔵政務次官
に就任し、そこから独自に税制の勉強を始める。
日本の税制は非常に複雑で、戦後のさまざま
な部分改革を繰り返したおかげで官僚たち
に「熱海の旅館」と呼ばれるような、
複雑で入り組んだ構造になっていた。
だが山中はその一切を頭に入れたことで、誰も
追いつけないような税制のスペシャリストと
なった。1970年代になると、知識面で
は誰にも負けない超エリートの大蔵
官僚ですら、山中の年季の入っ
た税制知識にはまったく
かなわない状態となった。
山中の豪快無比な性格とあいまって、その
決定には誰にも口をはさめなくなった。
かくして党税調は聖域化したのである。
誰が決定しても文句の出る税制改革は、絶対
的な「天皇」がツルの一声で決めたほうが
前に進みやすい。また、山中は決して
自分自身への利益誘導につなが
る決定を行わなかった。
今後、山中のような伝説的な政治家が出て
くることはないと思うと寂しい限りである。
1985年、当時の山中は健康問題があり、
杖をついて歩いていた。あるとき国会
のエレベーターに向かっていたと
ころ、後ろから田中角栄がや
ってきて山中を追い越し
て行った。角栄は
エレベーター
を止めさせると、
山中が、エレベーター
に乗るまでじっと待機させた。
「おい、一緒に乗れよ」
「角さん、こんな体になって申し訳ない」
「何をお前らしくないことを言うな。
ビッコを引いてもお前を馬鹿に
する奴は誰もいやしない」
角栄はそう言って山中の肩を叩いて励ました。
ちなみに、角栄が脳梗塞に倒れたのは、
その3日後のことである。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!