「松岡外交が太平洋戦争の引き金を引いた
元凶だ! 」というのが、昭和史を読む上で
の“お約束”の理解であった。だが、事実
を調べていくと安易にその理解に従っ
ては間違えるのではないかという
疑いが出てくる。
本書は、従来から、「松岡外交」の真意を
探ってきた著者が、満を持して書下ろした、
定説への挑戦状である。松岡洋右は、「
自分の最大目的は、日米戦争を避ける
ことにある」と常に言っていた。東
京裁判の初期に死亡したことに
より、「罪を一身に背負わ
された」観も強い。
松岡を、外交家としての大構想と大戦略を
持っていた人物とする著者の、「歴史へ
の反対弁論」が熱く展開される。
佐藤栄作元首相は、松岡洋右を偲んで
次のように発言している。
♠「私が最も尊敬する歴史上の人物は、吉田
松陰と松岡洋右だ。とりわけ松岡洋右は政治
家としての資質において、その右に出る者
がない。先見の明と物事の本質を一瞬で
見抜く洞察力と堅忍不抜の行動力
は天賦のものだ」
松岡洋右について従来語り伝えられてきた
誤ったイメージを是正し、松岡外交を正し
く認識し直すべき時期に、いまわれわれ
は来ているのではないだろうか。
松岡の最終目標は、アメリカとの戦争を回避
することだった。「アメリカとだけは戦って
はならない。アメリカと戦えば日本は100
%負ける」。これが松岡の持論だった。
三国同盟も日ソ中立条約も、アメリカ
との戦争を回避するために松岡
の打った布石だった。
それによってさらには、シナ事変をも
解決しようとしたのである。
この最終目標を実現するためなら、ドイツ
やソ連などいつでも切り捨ててかまわない。
これが松岡洋右の大構想と大戦略だった。
世間で悪評を買っていたり、あるいは諸悪
の根源として誹謗中傷にさらされている
人物を弁護するのは難しい。
とりわけそれが、敗戦や革命といった歴史を
画した大事件に際し、国家の崩壊と運命を
ともにした、責任ある地位にあった人
間の場合はなおさらそうである。
ある人物の、一度定着し固定してしまった
イメージを覆すのは、至難の業であるばか
りでなく、しばしば大きな勇気を必要とする。
「すべての罪を松岡へ」。これは松岡洋右
の死後、市ヶ谷の東京裁判法廷で裁きを
受けていたA級戦犯たちの、暗黙
の合い言葉となっていた。
福井雄三『よみがえる松岡洋右。
昭和史に葬られた男の真実』
の詳細、Amazon購入はこちら↓
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!