潜み、企み、謀る!人類の権謀術策を
ここに集成。
ブリテン諸島の歴史には、諜報活動や秘密活動
という大いなる遺産がある。強く独立を求める
島の民族である英国人は、フェアプレイと
寛容、言論の自由という伝統に誇りを持っている。
しかし矛盾しているようだが、この同じ
民族には、「卑劣な手段」を取る
傾向が見られるのだ。
アメリカ独立戦争の植民地軍最高司令官と
して、またアメリカ合衆国の初代大統領
として、ジョージ・ワシントンはアメ
リカ史で大きな位置を占めている。
彼は目的を果たすため、無慈悲な面を内包
していた。バージニア人として奴隷を所有
する大農園主であり、フリーメイスン
会員であった。ワシントンは彼より
以前、もしくは以降の指導者と
同じく、諜報と策略において
狡猾な手腕を持っていた。
近代的なアメリカ陸軍諜報活動は、1776年に
始まった。ジョージ・ワシントンは、ノール
トン中佐に、秘密任務を実行させる特殊
部隊を編成させた。この特殊部隊に
所属していたエール大学卒業生の
ネイサン・ヘイル大尉が、独立
戦争における最初の犠牲者だ。
情報収集をしていたヘイルは、英国軍にスパイ
容疑で捕まり、処刑された。ヘイルは処刑前に
発言を許され、「国に捧げる命が一つしか
ないことだけが悔やまれる」という
後世まで伝わる言葉を残した。
フランス革命の時代の諜報活動は、史上最も
偉大な諜報組織運用者のひとり、ジョゼフ・
フーシェなしには語れない。遠征で国外
におもむくナポレオンは、フランス
を厳しい監視下に置き、陰謀に
ついて彼に知らせてくれる、
フーシェのような人物が必要だった。
ナポレオン帝国の成立とともに、フーシェは
フランスを警察国家に変え、蜘蛛の巣のよう
に張り巡らされた諜報網が、ナポレオンの
支配を1789年以前のブルボン王家より
も、さらに絶対的なものにした。
ナポレオンは、彼が生きた時代の最も偉大な
将軍として記憶に残る存在であるだけでなく、
きわめて優秀な「スパイマスター」だった
と称賛されてしかるべきだ。
古代ペルシャの王たちのように、独裁者ナポレ
オンには国内でも国外でも、あらゆる段階に
及ぶ無数の諜報員や情報提供者、策略者、
密偵が仕えていたのだ。
諜報に関するすべてを「秘密の部分」と呼ぶ。
軍隊において何より重要なのは、これを組織
することだ。(ポール・ティエボー将軍)
概して諜報機関やスパイたちは、東西を問わず、
政治家や軍部指導者たちに比べて、力の均衡を
現実的に見極めていたのは間違いない。
(マルクス・ヴォルフ、東ドイツ諜報機関
「シュタージ」長官)
長年、日本は写真であれ文書であれなんであれ、
断片的な情報を注意深く集めている、という
評判を聞いていたが、まったくその通りだった。
(セオドア・ウィルキンソン『真珠湾攻撃調査に
関わる上下両院合同委員会報告』)
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!