ドキュメンタリー映画
「ペーパーシティー東京大空襲の記憶ー」を
制作したオーストラリア人の映画監督、
エイドリアン・フランシスさんに、
当時を知る体験者の生々しい証言を交え、
過去を知り、平和な未来をつくっていく
大切さをお話しいただきました。
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1945年3月10日の未明、
300機を超えるアメリカ軍の
B29による無差別絨毯爆撃によって、
東京の4分の1、下町一帯は焼け野原になり、
一晩で10万人を超える人々が亡くなりました。
「東京大空襲」です。
しかし、この民間人を標的にした
史上最大の空襲について詳しく知っている
日本人は、いまどれほどいるでしょうか。
オーストラリアの大学で映画制作を学んだ私が、
日本人のボーイフレンドと共に
来日したのは20年ほど前のことでした。
そして、一度オーストラリアに戻り、大学院で
ドキュメンタリー制作を学んだ後、再び来日。
以後、映画監督と英語教師をしながら生活
してきました。
そのような中、日本でも公開されたアメリカの
ドキュメンタリー映画「THE FOG OF
WAR(マクナマラ元米国防長官の告白)」
を観て、東京大空襲のことを知ったのです。
民間人がひと晩で10万人も殺された─
この事実に私は大変な衝撃を受けました。
ところが、周りの日本の友人や知人に尋ねても、
詳しく知る人はほとんどいません。
まして都内には原爆ドームのような、
東京大空襲の事実を後世に伝えるための
きちんとした施設も、被害の痕跡を残す建物も
ありません。このことが不思議でなりません
でした。
東京大空襲の記憶が忘れ去られたのはなぜな
のか。その真実を知りたいとの思いで2014年、
私はドキュメンタリー映画
『ペーパーシティ―東京大空襲の記憶―』
(以下『ペーパーシティ』)の制作に取り
掛かったのでした。
制作を通じて空襲を体験された方の生々しい
証言に接し、当時の惨状がまるで目の前に
蘇ってくるかのようでした。
映画にご登場いただいた星野弘さんは、空襲時
は14歳。一緒に訪れた東京・墨田区にある
錦糸公園のベンチに腰掛けた星野さんは、
「このあたりは全部遺体だった」と、
辛い体験を静かに語ってくださいました。
錦糸公園は空襲で亡くなった人たちの遺体が
集められ、仮埋葬された場所でした。星野さん
は遺体をかぎのついた棒で川から引き上げる
作業を手伝うことになり、その際に引き上げた
目を見開いて亡くなっていた母子のことが
いまも忘れられないそうです。
またトラックの荷台に積まれて運ばれてきた遺体
が公園の敷地内に山積みにされ、一つの穴に数百
の遺体が入れられる光景も目にしています。
実際、錦糸公園には約1万3,000人もの遺体が
仮埋葬されたのです。
現在の錦糸公園では、
親子が楽しそうに遊んでいる微笑えましい
光景が広がっていますが、
おそらく78年前の恐ろしい光景を
思い浮かべる人はほとんどいないでしょう。
●なぜ東京大空襲の悲劇は忘れ去られつつある
のでしょうか。この続きは最新号でご覧ください。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!