近藤勇は.龍馬とつながっていた 第 2,899 号

 新撰組は龍馬の大政奉還路線を選んでいた。

明治維新は英国が書いたシナリオとピタリ

と一致する。

新撰組のイメージはすべて、捻じ曲げられた

 京都という厳かな街が維持でき、公家は

そこで蹴鞠や歌会で遊びながら、のん

びり暮らせたのも武士という後ろ盾

があったから。

 当時の寺は、サイドビジネスとしてホテル業

を営んでいる。大きな寺院は、団体専門だか

ら、ホテルのほうが本業だ。

 幕末当時、幕府も諸藩も、組織という組織は、

お互い手当たり次第、いたるところに密偵、

チクリ屋を潜り込ませている。

 商人、坊主、飯盛り女、女郎、剣道場、高級

スパイから下働きまで、「接する相手はみな

スパイだ」とアーネスト・サトウは日記

に書いている。

 近藤勇は、潜入工作員だった。近藤と会津は、

早い段階から秘密のパートナーだ。近藤特務

機関は、めざましい勢いでノウハウを蓄積した。

 当時の日本は、もはやカオス状態である。

派閥争い、利権争い、内紛につぐ内紛、

それに開港だ、自由貿易だ、外国

為替だ、と頭痛の種は、どっさりあった。

 坂本龍馬の亀山社中は、商材として武器、茶、

建材、海運業まで手掛けている。

 取引相手にも藩の垣根は無かった。フリーハ

ンド。そんなことができたのは、英国のトマス

・グラバーがバックについていたから。

 グラバーは、日本国内における第三国である

土佐の龍馬をダミーにして、薩摩や長州と

武器取引をした。

 近藤勇は、龍馬とつながっていた。

 戊辰戦争も、古い封建社会をぶち壊し、近代

国家に近づいたという事実はある。しかし、

その裏側を覗けば、ドス黒いカネの奪い

合いで、血に飢えた歴史が、まったり

と横たわっている。

 
 

加治 将一 (著)『龍馬を守った新撰組。

         禁断の幕末維新史』

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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