常に生死が隣り合わせだった戦国時代。一つ
判断を誤れば、自分だけでなく家臣やその
家族、ひいては国までをも破滅させる
ことになるだけに、戦国武将の生き
方や遺した言葉には多くの叡智
が詰まっています。
中世・戦国時代史研究の第一人者である二木
謙一氏は、戦国武将のリーダーシップや組織
運営を基に豊島岡女子学園の経営改革に当
たり、見事日本屈指の女子進学校へと急
成長させられました。その成功の要諦
とは何か、激動の戦国時代を紐解き
ながら語っていただきました。
………………………………………………
信長のアイデアを開花させたのが秀吉です。
太閤検地、刀狩など信長の発案による統治
政策を着実に行い、身分や貨幣制度、都
市整備といった現在の我が国の政治
の礎を築きました。
私が秀吉に対して抱くのは、高度経済成長
期の日本人の如く仕事に没頭し尽くすイ
メージです。秀吉は主君であった信長
に尽くしきったことで、天下平定
のチャンスを手にします。
その成功の要諦は秀吉の人を引き
つける魅力にもありました。
明るい性格はもとより、周囲を笑わせる
ユーモアのセンスがあったことはリー
ダーとして極めて重要なポイントです。
鎌倉鶴岡八幡宮に立ち寄り源頼朝の廟所を
訪れた際には、「頼朝とは友達よ。しかし
秀吉は関白だから貴殿より位は上だ」と
冗談を言い、武田信玄の偉大さを語
る僧侶に対しては、「信玄は早く
死んで外聞を失わずに済んだ。
幸せな男よ、今迄生きておれば秀吉の草履取
りに召し使われるところであった」などと軽
口を叩いて周囲を笑わせたのは有名な話です。
信長と秀吉を現代の経営者に譬えるなら、
地方の個人商店として興した会社を毎年
増収増益で成長させ、遂に全国ナン
バー1の座を射止めたようなものです。
戦で勝利し領土が拡大し続けているため、
部下のモチベーションは上がり続けまし
た。おかげで人材に事欠くことはな
かったものの、共に組織運営で
成功したとはいえません。
致知出版社の人間力メルマガ
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!