リスクを背負いながら事業や投資に
賭け、巨富を築いた30人の波瀾
万丈の人生を紹介する。
江戸時代から現代に至るまで活躍した
多様な相場師・実業家が登場する。
山形特産の紅花を商い、
巨利を得た鈴木清風。
その羽振りの良さを嫉妬した江戸の紅花
問屋が「不買同盟」を結ぶと、「せっか
くの荷物を国に持ち帰るのも商人の
名折れ」と、紅花の荷物をそっく
り焼却してしまった。
その日のうちに、紅花相場は急騰。
頃合いを見計らって、清風は大量の紅
花を放出し、数日間で3万両と
いう大金を儲けた。
先に焼却したのは紅花に見せかけた
古綿花だったという。
清風はその金を使って吉原で豪遊し、
「紅花大尽」の異名を取った。
幕末、女貿易商として活躍
したのが大浦お慶。
ある時、イギリス商人から日本茶を大量
に受注し、九州中の茶を買い占めた。
こうして築いた巨額の資産は坂本龍馬ら
幕末志士の資金援助に充てた。
晩年は保証人となったのがきっかけで
借金地獄に陥るが、お慶自身は「不
注意のために残念なことになっ
てしまった」とあっけら
かんとしていたという。
歴史に名を残す相場師たちの度胸、
たくましさ、スケールの大き
さが非常に印象に残る。
ハインリヒ・シュリーマン。
大きな商売には外国語が必須である。
商店の小僧として、仕事に精出す傍ら
語学の習得にも力を注いだ。
シュリーマンの語学に対するひらめきは
天分のものだったらしく、わずか半年
で一つの言語をマスターしていった。
彼は生涯で十数か国語を話す言葉の天才で
もあるが、商才もただものではなかった。
22歳で、アムステルダム最大の貿易商
シュレーダー商会の門を叩く。
このとき、シュリーマンは7ヶ国語が
話せること、計算が早いこと、丁稚
奉公として2年間経験がある
ことなどを並び立てる。
しかしそれより先、豪商シュレーダー
は、一目でこの若者の才を見抜いていた。
破格の月給で通信係兼簿記係と
して即決採用となる。
給料が上がっても、シュリーマンの
生活信条が緩むことはなかった。
支出は最小限に切り詰め、女との関係
は一切持たないで、ひたすら新しい
語学の習得に励んだ。
たった一つの贅沢は甘いお茶を
思う存分すすることだった。
それが彼のエネルギーの源泉となった。
諸戸清六は、相場界を制して土地・
山林投資へ手を延ばした。
日本一の山持ちはいつも
木綿を着ていた。
諸戸家の家訓には、次の
ようなものがある。
1.顔をよくするより金を儲けよ。
金儲かり家富まば自然に顔もよくなる。
2.どこまでも銭のない顔をせよ。
銭ある顔をせば贅費多し。
3.できるだけ人の下風に立ちて、頭を
下げる者はかならず勝ちを占む。
4.人と商売上の話をなすも、己の見込
みとする「キキメ」一つは決して
人にもらすべからず。
ケインズも遠く及ばない巨万の富を残し
たのが、デイビット・リカードである。
リカード家の祖先は初めイタリアで商業
を営んでいたが、経済の中心がオラン
ダに移るとともに、アムステル
ダムに移住し、巨財を築く。
鍋島高明『賭けた、儲けた、生きた』
の詳細、amazon購入はこちら↓
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!