金銭に執着しない生き方が粋だという価値観もあった = 2-2 = 第1,627号

 東ドイツと衛星放送ベルリンの壁が

崩壊したのは1989年のことだ。

 西ドイツの放送は東ドイツにも漏れるよう

になる。東側諸国の国民が小型のバラボラ

を買って衛星放送を見れば、自国政府が

言っていたことが、いかにデタラメ

だったかを知ってしまう。

 メディアのパワーは強力だ。作り上げられた

共同幻想と、まったく違う本当の世界の姿を

見せてしまう。衛星ネットワークは、グレ

ートファイアウォールを破壊するのでは

なく、遥か上空から越えていくのだ。

 東ドイツは人工衛星を規制できなかった。

 テクノロジーは常に優越するのだ。テクノ

ロジーの持つ力をもってすれば、国家の

通貨発行権ぐらいは、当然将来的には

なきものになるだろう。誤解しない

でほしいが、こうしたことはある

日、突然すべてが一変するもの

ではないということだ。徐々

に、静かに変わっていく。

 世界に先駆けた金融工学かつての日本は

世界に先駆けたフィンテック大国だった

といえる。江戸時代の日本経済は、金

と銀、銅という3つの貨幣と、そし

て米から成り立っていた。それ

ぞれの相場は変動し、金の産

出量が増えれば銀とのレー

トが悪くなるといった変動相場制だ。

 江戸のお金というと、小判の印象が強いが、

決済で使われることはほとんどなかった。

一部の大名や上級武士などによる大口

取引で用いられたぐらいだ。

 日常の大方の取引は掛け売りだ。帳簿上の

付け合わせで、ほとんどすべてが済んで

いたのだという。商人は年末になると、

売掛金の回収に回っていた。

 当時の政治や文化の中心地は江戸だが、

経済の中心地は天下の台所・大坂だ。

大坂に存在した米市場で、大名は

米を銀や金に換える。この両

替商が銀行の前身だ。

 堂島米会所は世界最古の先物市場だ。現在、

世界最大の先物市場はシカゴ・マーカン

タイル取引所で、1898年に設立さ

れた。これはアメリカでは一番

古いものだが、その誕生より

100年以上前に日本に存在していたのだ。

 多様な通貨と信用経済、地域通貨に投機

市場─。こう書き出していくと、現金と

銀行預金信仰にいまだに縛られている

現代よりも、よほど柔軟に経済が

回っていたように思える。

 そもそも「宵越しの金は持たない」と

いう、金銭に執着しない生き方が

粋だという価値観もあった。

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 今回も最後までお読みくださり、

   ありがとうございました。感謝!

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