日本洋菓子界の巨匠・河田勝彦氏は若い頃、
フランスでの仕事を経て日本で開業。しかし、
最初からうまくいったわけではありません。
最初の10年間は苦難の連続でした。
河田氏は、この苦難の時期をどのような心構えで
乗り越えてきたのでしょうか。
『致知』最新号から、記事の一部を紹介します。
対談のお相手は日本のフランス料理界をリード
してきたコート・ドールオーナーシェフの
斉須政雄さんです。
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(斉須)
河田さんがオーボンヴュータンを立ち上げる
までのいきさつをぜひ教えてください。
(河田)
パリで最後に勤めたのが「パリ・ヒルトン」です。
その時シェフ・ドゥ・パティシエ(製菓長)と
いう立場で、それまでの集大成の意を込め
て自分が思い描く菓子をつくっていました。
アイデアがどんどん湧き出て、
それまでにない充実感も味わいましたが、
1年半が経った頃、突然、「もう十分やった
から日本に帰ろう。日本で勝負しよう」
と思い至ったんです。
貯金はなかったので、最初からお店を出すのは
難しい。そこで兄から百万円を借りて、卸売業
からスタートしました。
若い人にも言うんですけど、
いま目の前のことを一所懸命やっていれば、
明日すべきことは自ずと見えてきます。
いまから明日のことを悩むのではなく、
手元にあることに集中すれば、
絶対に未来はひらけるというのが実感です。
私は留学中に12のお店で働き、その時々で、
ショコラティエ、アイスクリーム、焼き菓子、
生菓子など取り組むテーマを独自に設けて
いました。一つできることを増やすと、
次にやりたいものも明確になる。
そういうふうに仕事をしてきたので、
自分の人生も非常にクリアに俯瞰できました。
(斉須)
明日を思い悩まず目の前のことに没頭する
ことが、人生をひらく秘訣と言えますね。
(河田)
同様に、帰国後はチョコレートの卸売りから始め、
その後焼き菓子、生菓子と一つずつ幅を広げ、
紆余曲折を経て1981年に東京・尾山台に
「オーボンヴュータン」を立ち上げました。
ただ、最初の10年くらいは本当に売れなかった
ですね。卸売りも続けていたため何とか生計が
立ちましたが、その分、1日17~18時間くらい
働き詰めでした。
休みは1月1日だけで、あとはずっと仕事。
周囲の人からは他店で流行っている商品を
真似てはどうかとありがたい忠告をたくさん
いただきました。
でも、それをやったところで後追いでは絶対
流行らないですよ。そもそも知らないことを
無理してやるつもりもないですし、私はただ、
自分がつくりたいものだけをつくりたかった。
(斉須)
その信念を曲げずに持ち続けたことが、
河田さんたるところだと思います。
(河田)
河田 自分のこだわりを追求していたら少しずつ
ファンがつき、あるテレビ番組で1時間に
わたって取り上げてもらえたことで、一気に
知名度が上がりました。
その日を境に連日ショーケースの中が空っぽで、
行列ができるようになったのです。
★河田さんのシェフとしての人生や信条は
『致知』最新号にて詳しく紹介されています。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!