音楽の素晴らしさや世界観に心を動かされ次第に生きる力が湧いてきた 第 2,122 号

世界的な舞台演出家として活躍中の宮本亜門さん
ですが、10代の頃は自殺未遂を繰り返す引き
籠もりの少年だったといいます。

その宮本さんはどのようにして
自らを大きく変革していったのでしょうか。

『致知』最新号「二十代をどう生きるか」にて、
自身の若い頃の思いを語ってくださいました。

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(宮本)

「演出家には最も遠い人」周りからそう揶揄
されるほど人見知りで気の弱かった僕が、
演出家という夢を掴み取ることができたのは、
ひとえに強烈な願望を抱き続け、
諦めなかったからでしょう。

人とうまくコミュニケーションを取れず、
生きる希望も見出せなかった10代は、自殺
未遂を繰り返し、引き籠りも経験しました。
そんな暗闇の中でも夢を見つけ、
失敗を重ねつつも演出家になった僕の、
決して煌びやかでない歩みが
少しでもお役に立てればと願い、
振り返ってみたいと思います。

そもそも演出家を志したのは、高校2年次
の1年間の引き籠りがきっかけです。
友人と趣味や話題が合わず、真っ暗な
自室に籠ってひたすらレコードをかけて
1人でミュージカルやクラシックに聴き入って
いました。

その中で、音楽の素晴らしさや世界観に心を動
かされ、次第に生きる力が湧いてきたのです。

その感動を何とか視覚的に表現し、
多くの人と分かち合いたい。
その純粋な思いが原点となり、
18歳の時に演出家を目指したのでした。

演出家の中にはダンサーとして活動を始め、
振付師を経て最終的に演出を手掛けるように
なった人が多かったため、僕も様々なオーディ
ションに参加し、21歳の時にプロのダンサー
としてミュージカル『ヘアー』に出演しました。


ところが舞台初日の朝、長く病を患っていた
母が亡くなってしまったのです。
母は元松竹歌劇団のダンサーでした。その母の死
に際し、「これからは一人で頑張らなければ」と、
込み上げてきた思いのままにニューヨークに飛び、
ブロードウェイで初めて生のミュージカルを
観ました。


その時の感激は忘れもしません。自らの命を
削るが如く、舞台で懸命に演じる役者の姿に
打ち震え、全身に鳥肌が立ったのです。


当時の日本では、「ミュージカルは女・子供が
やるものだ」と少し差別的なイメージを持た
れていました。

しかし、自分の目で本場のミュージカルを見て、
演出家という仕事は命を賭すに値する仕事で
あると確信を得たのです。


※続きは誌面にて

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 今回も最後までお読みくださり、

   ありがとうございました。感謝!

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