民間人の立場で普天間基地返還問題に関わっ
た軍事アナリストの回想。誰が泥沼に陥らせ
たか、なぜ辺野古案は使いものにならない
か。1996年4月の返還合意から24年間の
手帳、メモ、資料をもとにメモワール
(回想録)としてまとめたものである。
軍事アナリストである著者は、自民党の政策
勉強会に招かれたことをきっかけに、外交・
安全保障・危機管理の分野について、歴
代政府に助言・提案をするアドバイザーを
勤めてきた。沖縄の普天間基地返還問題には、
橋本政権下で日米の返還合意がなされた当初から
かかわってきた。それから二十年余、普天間は
返還に至っていない。様々な案が浮上しては
消え、行き詰まり、迷走を繰り返している。
なぜこのようなことになってしまったのか。
民間人ながら至近距離でこの経緯を見つめ
てきた著者が、普天間問題混迷の原因を
指摘。政治家・官僚などが多数実名で
登場、現代史の裏面を描き出すクロ
ニクルである。
私は政治家でも官僚でもない。むしろ
アウトサイダーのような存在である。
野中広務内閣官房長官の凄腕。
抜群の理解力と行動力。
私にとって、これが一期一会というものか
と思ったのが、野中広務官房長官との出会
いだった。彼は、出会ったばかりの私の
意見を容れて情報収集衛星とドクター
ヘリの導入を実現させた。その
理解力、判断力と度量は、
たぐい稀なものだと思った。
その野中氏をもってしても、容易に事が運ば
なかったところに、まさに「沖縄の闇」
ともいうべき、普天間問題の複雑
怪奇さ、深刻さがある。
野中官房長官のリーダーシップの下、
キャンプハンセン移設案が動き出し
たかにみえた。だが、「利権」
が行く手を阻む。
小泉首相、飯島秘書官のタッグは安全保障
でも抜群の安定感を見せた。しかし、米国
経由で奇妙な圧力がかかりはじめる。
当時の小泉政権は、マスコミが「小泉商店」
と呼んだのがぴったりの、こじんまり
した世帯だった。
実質的には、小泉純一郎首相、飯島勲秘書官、
そして小泉首相の姉の小泉信子氏の3人で
回っていた、といってよいほどだ。
大雑把にいうなら、政策の90%以上を
飯島秘書官のところで処理し、裏方と
して小泉信子氏が目立たぬように
支え、小泉首相は国のトップ
として専念すべき1つか
2つのことに集中できる形になっていた。
評価が分かれるところだが、小泉首相が持ち前
の直感力を研ぎ澄ませ、郵政民政化などを断行
できたのは、ひとえに、「首相を疲れさせ
ないで主要な戦略目標に集中させられる
仕組み」があったからと言ってよい。
小泉政権の5年半を通じて、飯島秘書官は
ほとんどの日、赤坂プリンスホテル
に宿泊していた。
朝はホテルのカフェテリアで来客と会う。
夜は報道陣との懇談の場をホテル外のイ
タリアンレストランに設け、ピザを
つまみながら話すといったスタイルだった。
安上がりで効果的な仕事ぶりだと思った。
記者にとっては、料亭などに連れて行か
れてもありがた迷惑なだけだ。飯島
スタイルの方が歓迎される。
小川 和久 (著)『フテンマ戦記』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!