2人が初めて出会ってから27年が経っていた 第 1,924 号

 堤康次郎の側近ナンバーワン、西武グループ

草創期の大番頭と呼ばれた中嶋忠三郎・元

コクド顧問弁護士。彼が遺した貸金庫

から、グループの歴史をひもとく

数々の証書類が出てくる。

 その中から見つかった1枚の株券預り証が、

堅固を誇った西武帝国をやがて大きく揺る

がすことになる。本書は、西武グループ

の「血脈と株支配」を追い続けた著者

の執念の記録である。新聞記者、フ

リー、週刊誌・経済誌スタッフた

ちの組織の垣根を越えた取材態

勢が、警視庁捜査員を動かし、

帝王を追い詰め、闇の帝国へと肉迫してゆく。

 手に汗握る、驚愕のスクープの舞台裏。それ

は同時に、日本を代表するカリスマ経営者の

裏の顔を白日のもとにさらし、日本企業・

日本社会の影を浮き彫りにする。

 中嶋忠三郎と堤康次郎との出会いは、1918年

に遡る。忠三郎は、康次郎という人物を試す

やんちゃな気持ちもあり、「10円借りたい」

と吹っかけた。当時通っていた目白中学の

月謝は3円程度。

康次郎は意外にも快い返答をする。

 そのおかげで、忠三郎の学生生活には

参考書を買う余裕もできた。

 忠三郎は1920年、無事に中学を

卒業。中央大学予備法科も卒業。

司法試験にも合格した。

 忠三郎が、司法界や外務省を経て、

堤康次郎の西武に入った。2人が

初めて出会ってから27年が経っていた。

 自分の残りの人生を、堤のために燃焼し尽く

そうという、むしろそんな不退転の決意を、

忠三郎は新たにしたのであった。

 西武へ入社した忠三郎は、おそらく日本初の

社内弁護士として、用地買収からトラブル解

決、康次郎個人の資産管理から果ては女性

問題解決まで、表に裏に八面六臂の大活

躍をする。のちに「側近ナンバーワン」

とも「大番頭」とも呼ばれた中嶋忠

三郎の超人的な活躍があったから

こそ、康次郎は「帝国」を築く

ことができたのである。

 中嶋忠三郎の回顧録『西武王国』は、西武

グループの裏面史を知る第一級の資料である。

 七尾和晃『堤義明。闇の帝国』

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 今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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