近年の日本の地盤沈下の背景には、すでに
世界が「正解がない時代」になってるにも
かかわらず、いまだに日本では「決めら
れた正解を素早く出すことが優秀な人
の条件」とされていることにある。
これらは変わらない偏差値信仰、近年の官僚・
みずほ銀行などのエリート組織の躓きを見て
も明らか。「正解がない時代」とは「正解
がいくつもある時代」のこと。そのため
には自分たちで正解をつくっていく
必要がある。そして自分たちで
正解をつくるとは、仮説ー実行ー検証
を回していくことにほかならない。
この過程で必ず付いてくるのが失敗。いままで
避けがちだった失敗とどのように向き合い、ど
のように糧としてしゃぶりつくすのか、そこ
がこれからの時代の成否を分ける。そのた
めのポイントを丁寧に解説、これから私
たちが身につけるべき思考法を明らか
にする。ただ一つの正解、すなわち
唯一解によって単純に動くことの
ない、「正解がたくさんある時
代」がいまという時代だと私
は捉えているのです。
私は「優秀」にも大きく分けると二種類ある
と考えています。まずは優等生
タイプの人たちです。
優等生タイプの人たちは、まず多くの知識を
頭にインプットします。そのうえで、問題を
数多くこなすことで、目前の問題を分析し、
類似の解法パターンにあてはめるという
ことを徹底的に学習します。
彼らが徹底した学習で身につけるのは、
分析力、効率性、ミスの少なさといっ
た能力です。与えられた課題を「正
確に素早くこなす」ことができる
のが彼らの最大の強みです。
私は二つ目のタイプのほうが本当に
優秀だと感じています。
それは、「ものごとの本質」を突き詰めて
考えているタイプの人たちです。彼らは
優等生タイプの人に比べると、知識量
や解答にいたるまでのスピード、
ミスの少なさでは劣るかも
しれませんが、そうした
人と議論すると、しば
しば新しい視点を提供して
くれるので、ハッとさせられます。
本来なら変化に対応した人材を育成すると
ともに、人材の評価の方法、組織の形も
変えていく必要があります。
しかしそうした対応をせず、ズルズルと後退
し続けているのがいまの日本の現状
だと私は見ています。
1960年代のことです。大学の研究室に台湾
からやってきた留学生がいました。その留学
生は、研究室にある実験器具を見て、「こ
んな高価なものを私が触っていいのか」
とびっくりしていました。
自分たちで実験して、そこから新たな学びを
得るためには、その器具を使い倒すくらいで
ないといけません。しかしその留学生に
とって、それまで学ぶということは、
欧米や日本のお手本をそのまま
吸収することを意味していたようです。
私にはこの1960年代の台湾からの留学生の
姿と、優等生文化で育った日本の人たちが
ダブって見えます。
「正解」をそのまま吸収することが学びで
あるという文化の中で育っていると、それ
以外のやり方があるということすら
気づかなくなります。
畑村 洋太郎 (著)『新・失敗学。正解を
つくる技術』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!