「 願望・欲望 」一覧
離れて距離を取るという姿勢を持つことの大切さ 第1,415号
健康な身体に新陳代謝が必要なように、生活 空間や日常生活にも新陳代謝は欠かせない。 累計300万部『断捨離』のやましたひでこが ついに書いた!〝これから〟をずっと心地 よく過ごしていくための「暮しの極意」 居心地のいい「引き算」生活で、 人生に“ゆとり”と“ごきげん”がやってくる。 捨てるとは、「あること」「持つこと」によって 得られる居心地以上に、「ないこと」「持た...
この小さな苗木を大木にしてみろ 第1,413号
会社には、会社のストーリーがあります。 雑誌にも、雑誌のストーリーがあります。 創刊から41年の歴史を持つ月刊誌『致知』にも、 『致知』ならではのストーリーがあります。 このたび、その『致知』の歩みを 「致知物語」としてまとめました。 ぜひご一読くださいませ。 …………………………………………… 致知物語 Vol.1 「この小さな苗木を大木にして...
満洲を武力で制圧することに対して批判的だった = 2-2 = 第1,412号
山本条太郎は1867年、福井市生まれ。山本が 2歳のころ、父は前藩主松平春嶽の秘書 となり、父に連れられて上京した。 山本は小学校で学歴を終わっている。東大の 予備校のような開成学校に入ったが、母 が早く死んだことからグレた。 将来を心配した叔父の吉田健三が三井物産横浜 支店に手代(一番下の奉公人)として入れた のは14歳のときだった。吉田健三は後 の首相吉田茂の養...
若返りを楽しみ人生の完全燃焼を目指す 第1,410号
こんにちは、 岡田です。 前回は「スタート地点による短期目標の違い」でした。 歩行整体メソッドの回復工程図を使いながら、 立ち位置が違う3点からの目線と目標を示しました。 --------------------------- 歩行整体メソッドとは、 三本の矢による、 回復から若返りまでの整体のしくみ。 第一の矢 ゆがみの潤滑整復術 第二の矢 ゆがみのト...
歩き回りながら音読したほうが覚えられる 第1,408号
「なんで早く教えてくれなかったの! ?」本書を 読んだ方は、そう思われるかもしれません。 それくらい、本書には驚きのメソッド が盛り込まれているからです。 「英語」「記憶」「読書」「ノート術」…… など、充実のコンテンツ。大ベストセラー となった『1分間勉強法』シリーズ の石井貴士先生が贈る、勉強法 の常識を覆す一冊が誕生しま した。「やってはいけない 勉強法を知り、正...
親族間の確執を知り家系分析し工夫・解消する 第1,407号
経営コンサルタントの天明茂さんによれば、 潰れた会社の再建のために社長さんの家系を調べ、 家族のあり方を見直すと、家庭内の人間関係が よくなったり、経営が持ち直したり、慢性病が 治ったり、ということが数多くあるといいます。 家系と私たちの運命はどういう関係にあるのでしょうか。 ※対談のお相手は、筑波大学名誉教授の村上和雄先生です。 ………………………………………………… ...
自分が素直でないと感じる人こそ素直な人ではないか = 2-2 = 第1,406号
「わし自身が最近、素直になれんのや。平常心を持て と言いながら心が落ち着かん。人の長所を見よと 言いながら、社員の短所ばかり見てしまう。 君、助けてほしいんや。すまんがな、素直な心に なるための百カ条、つくってんか」 (上田) あぁ、創業者が直々に。 (岩井) そこでまずPHPの所員、さらに松下電器グループ の社員にも協力を呼び掛け、「どうすれば素直な 心になれるか」...
自分が素直でないと感じる人こそ素直な人ではないか = 2-1 = 第1,405号
日々の仕事や人生の中で、 どうしても素直になれずトラブルや 失敗を経験した人は多いのではありませんか?? 一代で松下電器産業(現・パナソニック) を築き上げた経営の神様・松下幸之助もまた 素直になろうと絶えず努力し続けた人でした。 松下幸之助は「素直な心」をどう考えていたのか、 PHP研究所客員の岩井虔さんと兵庫経営塾代表 の上田勝さんに語り合っていただきました。 …...
誰も追いつけないような税制のスペシャリスト 第1,404号
「陰の実力者たち」を完全網羅した決定版! 戦後日本の「支配者」たち、その 「伝説」と生きざま。 戦後の日本において、権力者を動かし、あるい は多大な影響力を与える指南役たちがいた。 フィクサー、政商‥‥‥‥人はかれらを 「黒幕」と呼び、真の実力者たる 彼らは畏怖を抱かせる存在と して闇に君臨した。 だが、時代は移り変わった。突出したカリスマ 性で日本を支配する存在...
昔から机上でアイデアを出したことはない = 2-2 = 第1,403号
1998年、わたしは念願のアウディに移籍する ことになった。しかし、わたしはその時点でド イツ語のドの字も知らなかった。英語も仕 事で通用するレベルではなかった。 デザイン部門で、はじめてプレゼンをした。 アウディにとっては初の日本人デザイナー がどんな絵を描くのか。競争心旺盛 なデザイナーたちは誰もが好奇 心いっぱいで集まった。そ して、わたしのスケッチ を見た途端...