「 願望・欲望 」一覧
妹と弟の存在がようやく私を支えてくれたのでした 第 2,499 号
森進一さんの名曲「おふくろさん」。 この歌を歌う時、森さんの心には、 亡き母親の思い出が去来するといいます。 苦労をして子供たちを育てた森さんの母親は ある日突然自ら命を絶ってしまいます。 森さんは、この現実をどのように受け止め 人生を切り開いていったのでしょうか。 ─────────────────── (森) 幸運は思わぬところからやってくるもので、 新人作...
こういう状況で助かった人を見たことがありません 第 2,498 号
「賢者は歴史に学ぶ」といいます。 いまを生きる私たちに貴重な 知恵を授けてくれる歴史。 そこには、母親のお手本となる 素晴らしい女性も数多く登場します。 「博多の歴女」として、 日本の歴史や文化の伝承活動に 取り組む白駒妃登美さんに、 子育てに奮闘する女性に ぜひとも知っていただきたい 歴史エピソードをご紹介いただきました。 ───────────────── ...
「生き残る」ことの 意味を深く噛み締めました 第 2,496 号
酸素ボンベをつけず、 体力と精神力を鍛え上げることで 8,000メートル級の山々を踏破してきた、 無酸素登山家の小西浩文氏。幾度も命の危機に 遭遇しながらもそれを見事に回避、 その体験を通じて独自の危機管理術を会得した 小西氏の「心の習慣」に迫ります。 ───────────────── (小西) 危機に直面し生き残るための習慣について、 登山家としての経験を踏まえなが...
本当にやりたい仕事を自ら掴み取った喜びから他の仕事まで楽しくなる 第 2,495 号
自分が本当にやりたい仕事を掴み取り、 それを達成した時の喜びは、 何ものにも代え難いものがあります。 今回は元アナウンサーで弁護士として活躍中の 菊間千乃さんの20代の頃の体験談を紹介します。 アナウンサーの仕事を辞めたいと 悩んでいた菊間さんですが、 自ら立てた企画を成し遂げることで、 周囲から認められる存在になっていきます。 ★『致知』最新号の案内はこちら ──...
「いい歴史」は必ずしも万人を喜ばせるものではない 第 2,494 号
世界には「歴史のある文明」と「歴史のない 文明」がある。日本文明は「反中国」をアイ デンティティとして生まれた。 世界は一定の方向に発展しているのではない。 筋道のない世界に筋道のある物語を与えるのが 歴史だ。「国家」「国民」「国語」といった 概念は、わずかこの一、二世紀の間に生ま れたものにすぎない…などなど、一見 突飛なようでいて、実は本質を鋭く ついた歴史の見方・捉...
それが僕の誰にも負けないと思える努力です 第 2,493 号
米大リーグ通算3089安打という偉業を成し 遂げたイチロー選手。人々に大きな夢と感動を 与え続けてきた、その〝超一流〟プロとしての 生き方に学ぶべきこととは? 若き日のイチロー選手の専属打撃投手として、 練習に打ち込む姿を間近で見てきた という奥村幸治さんにお聞きしました。 ───────────────── (奥村) これは私が打撃投手に区切りをつけ、 トレーナ...
動作はしなやかで若々しく保つことができます 第 2,490 号
こんにちは、 岡田宰治です。 前回は「開脚チャレンジ90日の気づき」でした。 開脚チャレンジの結果とそのプロセスからの気づきでした。 今回は「股関節を軟らかくする-1-」です。 ・開脚チャレンジで股関節に集中する 股関節の軟らかさのチェック法としては、 大きく分けて3つの方法に集約されます。 1.合蹠(がっせき)座り(前屈) これはヨガの合蹠のポー...
現在の日本では20代後半の男性の未婚率は73% 第 2,488 号
戦後の高度成長期には、世界からジャパン・ アズ・ナンバーワンと称された日本。 しかしその栄光は見る影もなく、 いまや日本はアジアの後進国になりつつあると、 東京大学名誉教授の月尾嘉男さんは言います。 日本はなぜそうなってしまったのか、 そしてどうすれば再びかつての輝きを 取り戻すことができるのでしょうか。 語っていただきました。 ───────────────── ...
自ら考えて自分が自分に最後の命令を出すもの = 2-2 = 第 2,487 号
今にして私は、ずいぶんと自由というなら これ以上の自由はないと思うのでありますが、 私の父に感謝するのであります。 中学時代からほとんど相談といっても だいたい自分で考えて 「こうしようと思うがどうでしょう」 という程度でありました。 「どちらの方がいいか」という相談は、 ほとんどしたことがないのであります。 これはまあ私には少なくとも、 たいへんありがたいことでござい...
貧乏のどん底をずっと生きていたわけです 第 2,485 号
「にんげんだもの」などの作品で知られる書家・ 相田みつを氏。いまでこそ、その独自の作風や、 心を潤す詩の数々は広く知られていますが、 作品がほとんど売れなかった時期もあったと いいます。 ご子息の一人氏によると、 みつを氏の最大のピンチは40代後半。 みつを氏はこの時期をどのように 乗り越えられたのでしょうか。親子でなく ては知り得ないエピソードを交えながら お話しいただき...