「 世間動静全般 」一覧
おれは勝ったと図に乗り.怠りや慢心がでるのが一番悪い 第 740 号
昭和20年8月14日、正午。 総理大臣・鈴木貫太郎元海軍大将は、 すくっと立つと、原稿はおろかメモ 一つなく、語り始めた。 8月9日の第一回の聖断以来のすべての 出来事をよどみなく報告するのである。 そして最後にいった。 「ここに重ねて、聖断をわずらわし奏るのは、 罪軽からざるをお詫び申し上げます。 しかし意見はついに一致いたしませんでした。 重ね...
合理的にして常に時代を先取りしながら進んでいった 第 735 号
多民族共生を目指した満州合衆国の喪失は、 戦後アジアの新興多民族国家のモデルの 喪失であるばかりでなく、中国人に とっては近代国家とは何かという 問いすら失わせた。 満州国とはどんな国で、どんな遺産が 残されたのかを解く。 日本人が満州国の建国、復国に最大の情熱を 傾けたことは事実であり、ただ単に関東軍 の陰謀という「陰謀史観」で語り尽く せるものでもない。 ...
どん底から毎回毎回.這い上がってきているところも凄い 第 729 号
面白くて簡単に日本経済再生の論点がつかめて、 読んだその日から政治経済ニュースの見え方が 一変する、「ザ・対談」が実現しました! 財務省から地方自治体まで役人のどこが問題か、 マスコミ報道にはどんなバイアスがかかって いるのかが明らかになります。 日本経済の底力を知り、役人の限界を知る 二人が、時に真っ向対決、時に知恵を出し 合い、近未来を大胆かつ華麗に予測 ...
華僑が世界に進出して大きな経済力を誇っている 第 725 号
中国はバブル崩壊とともに凋落するのか?それとも 世界No.1の大国となるのか?10年後、20年後の 世界の行く末を読み、日本の世界戦略を 提言!!中国「国家資本主義」の偽りなき実像に迫る。 国際社会では「カネで友情を買う」など憎まれ口 も耳にするが、即断即決ドーンとカネを突っ込め ば必ず返ってくるという合理的な割り切り方 は、やはり中国ならではだ。 何事も慎重に構え、...
組織の要諦はやはり人.そして人と人とのつながり.チームワークだ 第 717 号
元大物首相秘書官にして、現役の内閣参与―首相 官邸の中枢を最もよく知る男が、首相に不可欠の 資質、長期政権を可能にする条件、閣僚人事の 秘訣、官僚の操縦術、サミットでの首脳外交 などを例に、組織の活かしかたを伝授する。 時の政権の経済政策で肝腎なのは、ニュース 番組の最後にいつも報じられる円・ドル の為替相場と日経平均株価。 世界中どこでも為替と株をどう守る かが時...
「非凡な」「尊敬される」会社になるための方法 第 715 号
ソニーは起死回生なるか? アップルはさらなる 成長を遂げられるのか?「売れる企業」「売れる ブランド」とは何か? 2社のモノづくりや 経営戦略などを、過去から現在に至る まで俯瞰して徹底的に検証する。 企業に永遠はなく、栄枯盛衰が 繰り返されてきた。 現在絶好調のアップルとて、1996年にスティー ブ・ジョブスが復帰するまでは、「身売り 確実」と言われる状況にあっ...
台湾海峡を封鎖されたら日本経済は大打撃をうける 第 708 号
元米軍人だから書ける「アメリカの本音」日米 同盟は最長でも2050年で終わる! そのとき 日本が中国の属国になりたくなければ何を すべきか? 尖閣事件に象徴される脅威 を前に、世界の最前線で戦ってきた 日本生まれの元米軍将校が警鐘を鳴らす。 ひとくちに日米同盟というが、本来、同盟 とは同レベルの国同士が結ぶ条約だ。 その証拠に日米安全保障条約には、「破棄通告 から1...
戦争をしたら日本に勝ち目がないことは歴然としていた 第 705 号
昭和初期の北樺太石油、満洲国建国時の油兆地調査、 そして南方油田。 そこには確かに石油があったはずなのに、日本は モノにできなかった。 石油技術者の手記を読み込んで明かされる71年目 の真実、今に活かすべき教訓とは。 一次エネルギー資源の供給を海外に求めなくては ならない日本にとって、世界貿易が妨げられない 状態、つまりは世界が平和であることが 極めて重要だ。...
天から与えられた素晴らしい仕事だと思うことはとても大切 第 702 号
これまで100人以上の弟子を育て上げて こられたというエーデルワイス会長・ 比屋根毅さん。 その愛弟子にして、関西で人気洋菓子店 を営む牧野眞一さんとが語る、師と 弟子との神髄とは。 ───────「今日の注目の人」─── 比屋根 毅(エーデルワイス会長) × 牧野 眞一(ムッシュマキノオーナシェフ) ────────────────...
その心は磨けるものである.という発想が日本にある 第 696 号
先生と初めてお会いしたのは昭和56年。 先生50歳、不肖33歳。 以来36年、親しくご交誼ご指導をいただいた。 先生は本誌の向かわんとする方向を評価され、 『致知』の発展を心から願ってくださっていた。 亡くなられたいま、その恩徳の大きさ 深さに改めて思い至る。 本誌にとって先生は、まさに恩師であった。 先生の思い出は尽きない。 特に鮮烈に残っていること...