「 世間動静全般 」一覧
宮崎は十河の懐の広さを尊敬し.十河は仕事の出来る男として宮崎を愛した – 2-2 – 第 391号
宮崎は石川県金沢に生まれた。 中学卒業と同時に官費給付生としてロシア に渡り、その後満鉄のロシア留学生として当地 にいること合計6年、1917年、ペテルブルグ 大学政治経済学部を卒業。 同年7月帰国。 メンシェビイキ革命の嵐の中のロシアを体験。 その後満鉄に入社し、ソ連に関係する さまざまな調査に従事。 1923年秋にはソ連を訪問し、革命後の 実...
人という生物の不思議さと可笑しさ生きる喜び(災害列島) – 6 – 第 390号
冒頭画像は”竜巻„です。 災害列島と言われ、地震から火山の噴火・噴煙、 津波、台風、集中豪雨に伴う土石流や土砂災害 等々。 古くからそれぞれの災害と共に、その生きる 知恵を蓄積してきたはずの災害列島の住人 なのに‥‥ 4月の熊本地震では、地元の人に”地震が少ない„ という思い込みが、あったと言われる。 8月末の台風10号による惨害。 ...
自分自身の存在感が高ければ、相手はそれなりに対応してくる 第 388号
情報は常にアップデートし、最先端の情報にして おかないと、世界中のライバル企業から取り 残される。 そして、最先端の情報の多くは英語で書かれて いるのが現実だ。 私は外国語をやっていたおかげで、自分の 人生が広がりました。 ドイツ系の会社に勤めることができたのも、 ドイツ語をやっていたおかげです。 語学を身につけていて、楽しいことが いくつもあった...
何の為.誰の為に.仕事しているのか考えると目的が明確になる 第 381号
アフリカやアジアでマラリア撲滅に尽力 される水野達男さん。 前職の住友化学時代、マラリア防虫蚊帳の 普及に走り回るものの、思うように実績が 出せず、疲労も重なって水野さんは 鬱状態になってしまいます。 しかし、その療養中に心の底から湧いてきた 思いが水野さんの発想の転換と飛躍を もたらすのです。 ─────────── ★ 途上国のビジネスに懸...
人に学び、物事に学び、 森羅万象に学んで道を求めた人 第 379号
松下幸之助氏の生き方や考え方は、経営者に 限らず、広く人々の心を捉えて魅了する ものがあります。 松下幸之助氏がいまも親しまれる 理由は何なのでしょうか。 長年、氏に親しく接してきたお二人の 話から、その答えが見えてきます。 ─────────── ★ 松下幸之助が目指したもの ★ 岩井虔(PHP研究所客員) × 上甲晃(志ネットワーク「青...
子供をより有意義で価値ある人生を営むチャンスを得る方向付け 第 376号
収入を増やすだけでは、金持ちにはなれない。 才能を金に換える方法、親に依存しない独立心、 無駄な浪費をしない判断力と意志、収入と 支出を管理する習慣…… 金持ちになりたければ、「金持ちへの 基礎体力」を身に付けよ!! 富豪は自らのノウハウをたやすく 公開しないのだ。 企業秘密を簡単に教える商人はいない。 私は世界の大富豪たちの「裏調査」...
子どものときぐらいは、 貧しさや不自由さを教えなくてはならない = 2-2 = 第 369号
岩崎弥太郎は、極めて短気で火の玉のような 男だった。 社員を叱りつけることもしばしばだった。 そんな弥太郎と重役との緩衝役になった のが、弟の弥之助だった。 このように彼は、いつも兄の陰になって、 社内の融和に尽力して会社の発展に 貢献していたのである。 いわば、縁の下の力持ちだったのだ。 丸の内を購入して計画した大事業とは。 海から陸に上...
子どものときぐらいは、 貧しさや不自由さを教えなくてはならない = 2-1 = 第 368号
カリスマだった創業者社長を継いだ二代目の 理想的なビジネス手腕とは! ? 三菱の創業者として初代社長の岩崎弥太郎は 有名だが、そのあとを継いだ二代目・弥之助 の業績はほとんど世に知られていない。 しかし、実は三菱財閥・三菱グループの基礎 を築いたのは、この弥之助だったのだ。 初代社長ほどのカリスマ性はないが、頭脳明晰・ 冷静沈着な弥之助は、三菱の危機を救い、...
各個人は他者の権利を害さない限り.いかなることをも行う自由を有する 第 355 号
仕事上の契約や日常の商行為など、多くの 場面で「法律」が登場します。 ビジネス・パーソンとして最低限必要な スキルは、「法律力」といえます。 各種資格試験の多くで法律科目が必修科目 として課されているのも、その証左です。 「法律力」とは?法的思考力と法解釈力 を合わせたもの。 そもそも法が適用される場面は、利益 対立が生じている状況です。 そのた...
田中角栄の4側面・政治家、実業家、資産家、虚業家 第 351 号
私は「田中角栄研究」以来、いくつかの プロジェクトを通して、大テーマでかつ長丁場に わたる取材に関しては、資料の系統的蓄積と分類が 不可欠であることを体験的に学んだ。 「事件の核心」の取材がはじまると同時に、 資料専従班を設けて、この事件に関するあらゆる 活字メディアの完全なスクラップとその分類作業 を続けさせた。 したがって、新聞、週刊誌、月刊誌にのった あらゆる...