「 仕事・職 」一覧
この小さな苗木を大木にしてみろ 第1,413号
会社には、会社のストーリーがあります。 雑誌にも、雑誌のストーリーがあります。 創刊から41年の歴史を持つ月刊誌『致知』にも、 『致知』ならではのストーリーがあります。 このたび、その『致知』の歩みを 「致知物語」としてまとめました。 ぜひご一読くださいませ。 …………………………………………… 致知物語 Vol.1 「この小さな苗木を大木にして...
満洲を武力で制圧することに対して批判的だった = 2-2 = 第1,412号
山本条太郎は1867年、福井市生まれ。山本が 2歳のころ、父は前藩主松平春嶽の秘書 となり、父に連れられて上京した。 山本は小学校で学歴を終わっている。東大の 予備校のような開成学校に入ったが、母 が早く死んだことからグレた。 将来を心配した叔父の吉田健三が三井物産横浜 支店に手代(一番下の奉公人)として入れた のは14歳のときだった。吉田健三は後 の首相吉田茂の養...
満洲を武力で制圧することに対して批判的だった = 2-1 = 第1,411号
かつて東洋一の繁栄を誇り、モダンの代名詞と なった都市、上海。日本軍の大陸進出に よって戦場となった上海。外灘 に摩天楼が聳えたつ国際 金融都市、茶館に 娼婦やアヘン中毒者が たむろする退廃都市、租界 を擁するコスモポリタン都市…。 高杉晋作、李香蘭、ゾルゲ、里見甫…。魔都と 呼ばれた街に生きた人間達の10のドラマ。 “オールド上海”の魅力が写真ととも に蘇る。上海に...
若返りを楽しみ人生の完全燃焼を目指す 第1,410号
こんにちは、 岡田です。 前回は「スタート地点による短期目標の違い」でした。 歩行整体メソッドの回復工程図を使いながら、 立ち位置が違う3点からの目線と目標を示しました。 --------------------------- 歩行整体メソッドとは、 三本の矢による、 回復から若返りまでの整体のしくみ。 第一の矢 ゆがみの潤滑整復術 第二の矢 ゆがみのト...
心の余裕がない状態ではもっと大事なことができていない可能性がある 第1,409号
松下電器産業(現・パナソニック)を 一代で世界的企業に育て上げた松下幸之助。 その偉業を成し遂げた一つの要因に、 松下幸之助が叱って人を育てる「叱り上手」だった ことが挙げられます。 松下幸之助の人生、仕事を発展させる叱り方の極意を 日本型経営の研究の第一人者である加護野忠男さんに 語っていただきました。 ………………………………………………… 〈加護野〉 松下...
歩き回りながら音読したほうが覚えられる 第1,408号
「なんで早く教えてくれなかったの! ?」本書を 読んだ方は、そう思われるかもしれません。 それくらい、本書には驚きのメソッド が盛り込まれているからです。 「英語」「記憶」「読書」「ノート術」…… など、充実のコンテンツ。大ベストセラー となった『1分間勉強法』シリーズ の石井貴士先生が贈る、勉強法 の常識を覆す一冊が誕生しま した。「やってはいけない 勉強法を知り、正...
自分が素直でないと感じる人こそ素直な人ではないか = 2-2 = 第1,406号
「わし自身が最近、素直になれんのや。平常心を持て と言いながら心が落ち着かん。人の長所を見よと 言いながら、社員の短所ばかり見てしまう。 君、助けてほしいんや。すまんがな、素直な心に なるための百カ条、つくってんか」 (上田) あぁ、創業者が直々に。 (岩井) そこでまずPHPの所員、さらに松下電器グループ の社員にも協力を呼び掛け、「どうすれば素直な 心になれるか」...
自分が素直でないと感じる人こそ素直な人ではないか = 2-1 = 第1,405号
日々の仕事や人生の中で、 どうしても素直になれずトラブルや 失敗を経験した人は多いのではありませんか?? 一代で松下電器産業(現・パナソニック) を築き上げた経営の神様・松下幸之助もまた 素直になろうと絶えず努力し続けた人でした。 松下幸之助は「素直な心」をどう考えていたのか、 PHP研究所客員の岩井虔さんと兵庫経営塾代表 の上田勝さんに語り合っていただきました。 …...
誰も追いつけないような税制のスペシャリスト 第1,404号
「陰の実力者たち」を完全網羅した決定版! 戦後日本の「支配者」たち、その 「伝説」と生きざま。 戦後の日本において、権力者を動かし、あるい は多大な影響力を与える指南役たちがいた。 フィクサー、政商‥‥‥‥人はかれらを 「黒幕」と呼び、真の実力者たる 彼らは畏怖を抱かせる存在と して闇に君臨した。 だが、時代は移り変わった。突出したカリスマ 性で日本を支配する存在...
昔から机上でアイデアを出したことはない = 2-2 = 第1,403号
1998年、わたしは念願のアウディに移籍する ことになった。しかし、わたしはその時点でド イツ語のドの字も知らなかった。英語も仕 事で通用するレベルではなかった。 デザイン部門で、はじめてプレゼンをした。 アウディにとっては初の日本人デザイナー がどんな絵を描くのか。競争心旺盛 なデザイナーたちは誰もが好奇 心いっぱいで集まった。そ して、わたしのスケッチ を見た途端...