「 信念・心意気 」一覧
今も.そのまま存在しているという厳然たる事実だけである = 2-1 = 第 329 号
1949(昭和24)年6月、九州・延岡の海岸から小さな 漁船が夜陰にまぎれて静かに離れていった。 船が目指すのは、真っ黒な海原のはるか彼方に ある台湾。 その船には、日本陸軍の元・北支那方面軍司令官、 根本博中将が乗っていた。 傍らには、「俺の骨を拾え」と言われて随行を 命じられた通訳が一人。 この時、蒋介石率いる中国国民党と毛沢東率いる 中国共産党との...
日常の当たり前のことが徹底できているか否か 第 326号
伝説の料理番組「料理の鉄人」で初代 の和の鉄人として見事な腕前でお茶 の間を魅了した道場六三郎さん。 そんな道場さんが語る一流と 二流を分けるものとは。 ─────────── ★ 一流と二流とを分けるもの ★ 道場 六三郎(銀座ろくさん亭主人) ─────────────────── これまで私は数多くの料理人と接して きましたが、中には伸びていく人も ...
現在そして将来にその教訓を生かすため歴史を研究し学ぶ 第 323号
フルブライト留学生としてアメリカに 留学し、ミシガン大学大学院でスーツ 博士に計量経済学を、マサチュー セッツ工科大学大学院でサム エルソン博士(1970年ノー ベル賞)とソロー博士(1987年ノーベル賞) に理論経済学を、ハーバード大学大学 院ではアロー博士(1972年ノーベル 賞)とクープマンス博士(1975年 ノーベル賞)に理論経済学を、 スキナー博士に心理学を、 パ...
どんなに辛くても自分が登らない限り 頂上には立てない 第 321号
女性初のエベレスト登頂者で、世界初 の七大大陸最高峰登頂者でも ある田部井淳子さん。 大病を克服され、76歳のいまも 登山家として活躍中です。 その田部井さんの原点となる お話を紹介します。 ─────────── ★平常心で日々を生ききる★ 田部井 淳子(登山家) ─────────────────── 七十六歳になったいまでも忘れら...
これは私的な関係でやるんじゃない.地元の産業を絶やさないためだ 第 315号
東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼の 老舗酒造メーカー男山本店。 それにもかかわらず、震災翌日から事業を再開 させたというから驚きです。 その軌跡に迫ります。 ─────────── ★ 目に見えない力に助けられて ★ 熊谷 光良(熊谷電気社長) × 菅原 昭彦(男山本店社長) ─────────────────── 【熊谷】 ...
誇りと使命感を持って、 獅子奮迅の働きをしてくれた感謝 第 311号
東日本大震災から丸5年。特に甚大な被害を 受けた地域の一つ、宮城県気仙沼市で いまも懸命に事業を営む 二人の経営者の志に胸打たれます。 ─────────── ★ 人の心に明かりを灯す ★ 熊谷 光良(熊谷電気社長) × 菅原 昭彦(男山本店社長) ─────────────────── 【熊谷】 実は、震災翌日にある夢を見たんですよ。 ...
頭に熱がこもることの怖さ.頭部冷却の大切さを痛感した 第 310号
19話 『頭部冷却療法』その4 前回 (第 302号) は、うつ熱症(熱中症)の解消法 と、頭部冷却療法の実際についてお話ししました。 そして今回は、頭部うつ熱による熱中症で実際に 倒れた私の体験をお話しします。 倒れたのは1999年10月初旬のことです。 当時のわたしは、すでに「頭部のうつ熱」に ついての知識を持っていました。 全く知らなかった...
人生のありとあらゆる事象から幸せの根拠を見つけ生き抜き.行き去る 第 309 号
戦前は朝日新聞を代表する記者として活躍、その後 政界に転じ、小磯内閣で内閣情報局総裁を務め、戦後 は保守合同を主導したことで知られる緒方竹虎。 2005年に機密解除となった米公文書から、1955年の 自民党結成にあたり、CIAが緒方を通じて対日政治工作 を行っていた実態が明らかになった。 コードネーム=POCAPON。 彼はアメリカのエージェントだったのか。 ...
先入観や判断を洗い流し.そっくりまるごと受け止める 第 304号
幕末に活躍した勝海舟。江戸城無血開城など、 歴史の舞台で華々しい活躍をしていますが、 その一方で義理人情を終生欠かさない 人物でもありました。 本日は、そんな勝海舟のちょっといいお話を お届けします。 ─────────── ★ 勝海舟のちょっといい話 ★ 石川 真理子(作家) ─────────────────── 思うに人の一生は平坦ばかり...
くだらん酒をたくさん飲むより、いい酒を飲めよ 第 303号
日本経済界の重鎮・牛尾治朗さんの 若き日のエピソードです。 牛尾さんは、当時秘書として仕えられた 東京銀行の支店長からよく、「おい 牛尾君、飲みに行こう」と声を かけられ、酒の飲み方に ついて教えられたそうです。 ─────────── 牛尾 治朗(ウシオ電機会長) ─────────────────── 私は大学を出て東京銀行へ入行後、程なく ...