「 信念・心意気 」一覧
吉田総理の見識に恐れ入ったものである 第1,734 号
内閣調査室は本当に日本を親米反共国家に するための謀略機関だったのか―創設から 70年近くたった今日でも、なお闇に包ま れた戦後史最後の謎を解き明かす第一 級の史料 ! この物語の主人公の志垣民郎氏は、吉田茂 首相が国家地方警察本部警備課長だった村 井順に命じ、内閣総理大臣官房調査室を 創設した際の四人の配下の一人である。 志垣氏の主な仕事とは、優秀な学者・研究者 ...
誹謗中傷にさらされている人物を弁護するのは難しい 第1,728号
「松岡外交が太平洋戦争の引き金を引いた 元凶だ! 」というのが、昭和史を読む上で の“お約束"の理解であった。だが、事実 を調べていくと安易にその理解に従っ ては間違えるのではないかという 疑いが出てくる。 本書は、従来から、「松岡外交」の真意を 探ってきた著者が、満を持して書下ろした、 定説への挑戦状である。松岡洋右は、「 自分の最大目的は、日米戦争を避ける ことにあ...
残された記録や資料には残した人間の意図が必ずある = 3-3 = 第1,723号
海軍省の後継組織である「二復」が行った 水面下の裁判対策。その知られざる実態の 一端を明らかにしたのが、反省会におけ る豊田大佐の発言だった。実際には 一人の極刑者も出さなかった東京 裁判において、当初、極刑必至 と目されていた人物がいた ことを打ち明けている。 その人物とは、嶋田繁太郎海軍大将。開戦 時の海軍大臣にして、後に軍令部総長も兼 務した。真珠湾奇襲を決行した...
残された記録や資料には残した人間の意図が必ずある = 3-2 = 第1,722号
豊田氏は、「反省会」でこう発言している。 「およそ(東京裁判の)2年半の審理を通じ 最も残念に思ったことは、海軍は常に精 巧な考えを持ちながら、その信念を国 策に反省させる勇を欠き、ついに戦 争・敗戦へと国を誤るに至ったこ とである。陸軍は暴力犯。海軍陸海軍あ るを知って国あるを忘れて いた。敗戦の責任は五分五分であると」 は知能犯。いずれも 東京裁判の結果、「陸軍悪玉...
残された記録や資料には残した人間の意図が必ずある = 3-1 = 第1,721号
あの戦争は誰が何の為に始めたのか? 海軍 とはどのような組織だったのか? なぜ、"特 攻"という無謀な作戦を考えたのか? 海軍 中枢にいた当事者たちの告白記録は、大 変な反響を呼びました。 衝撃の史実に向き合ったスタッフの苦悩や 苦闘、そして一つでも多くの真相に迫ろう とする意欲。「あの戦争を二度と繰り返 さないために」埋もれていた太平洋 戦争の裏面史に光をあてる。 ...
私は機能回復のきっかけ作りをしたに過ぎないのです 第1,720号
こんにちは、 岡田宰治です。 前回は「50代からは安全で楽な筋トレを!」でした。 インナーマッスルを一定期間鍛えてから、 過負荷の筋トレをやるのが良い方法という内容でした。 今回は「パーソナルトレーニングは治療の一部」です。 図入りはこちら -------------------------------------- 『歩行整体』とは、 三本...
仲間が自分の分も頼むぞと思って守ってくれた 第1,714号
茶道の普及のために国内外を飛び回る 裏千家前家元の千玄室氏、数え年98。 その力の源泉はどこにあるのか。 1月25日に東京プリンスホテルで開催した 新春特別講演会(弊社主催)での ご講演内容をもとに追加取材を行い、 その人生観、仕事観を特別講話として 『致知』4月号に紹介させていただきました。 ─────────────────── 私は自分がいくつまで生きようとか、...
志士と商人の「持ちつ持たれつ」の関係 = 2-1 = 第1,711号
♥星野源『うちで踊ろう』 名曲カバーの動画。 (医療従事者の皆さんに感謝を込めて) ↓ (少し雑音があります) 「龍馬の本当のスポンサーとは?」「五代友厚 と龍馬の共同事業計画とは?」「岩崎弥太郎は 龍馬の金づるだった?」元国税調査官が“お 金の動き”で歴史を読み解く。 本書は、坂本龍馬の人生を金銭面 から見ていこうというものだ。 ...
土木技術をもつ「ヤミ屋のオヤジ」軍団 = 2-2 = 第1,702号
徳山は、3月21日、徳山局長名で以下のよう な文書を被災市町村にファックスを送った。 「私のことを『整備局長』と思わず、『ヤミ 屋のオヤジ』と思ってください。いつで もお手伝いさせていただきます」 こうして徳山局長以下、東北地方整備局、 さらにいえば国交省全体が、土木技術を もつ「ヤミ屋のオヤジ」軍団となった。 ゼネコンが支えた「ヤミ屋のオヤジ」。 命の...
土木技術をもつ「ヤミ屋のオヤジ」軍団 = 2-1 = 第1,701号
国土交通省のスタッフが見えないところで 被災地支援にがんばったことを記録に残し、 一般の人々に知ってもらうことが、自分 にできることだと、思い至った。 「いいと思ったことは何でもやれ」 大畠大臣が徳山局長に全権委任。 震災直後、大畠大臣は、東北地方整備局長 の報告と意見具申を受け、現場の裁 量でやるよう指示した。 「とにかく人命救助を第一に。現地のことは 君...