「 信念・心意気 」一覧
自分達の生の意義を自問自答していたと実感するのだ = 2-2 = 第1,478号
実際に特攻隊の出撃を見送った人々は皆、 いかに彼らが立派で、「まるで神のよう にみえた」かということを語る。出撃 の際の白黒の、少々ぼやけた写真を 見ていても、私にも何か普通では 考えられないような感情を秘め た雰囲気が充分伝わってくる。 彼らの直筆の書を読むと、はっきり日本が 敗戦に向かっていることを自覚した上で、 自分達の死が日本にとってどんな意味 合いがあるのか、...
自分達の生の意義を自問自答していたと実感するのだ = 2-1 = 第1,477号
2019/08/07 (水) 19:00 あなたには命をかけて守るものがありますか。 特別攻撃作戦は、大東亜戦争末期に戦局挽回 のために採用された十死零生ともいえる 体当たり戦法である。当事者、遺族、 関係者を国内外で幅広く取材し、 国家と個人の関係を追求したノンフィクション。 平成8年、31歳のとき、不規則な仕事などの 影響もあって、体調を崩した。命に関わり はない病気...
むしろ律儀な正直者の親分といった方が当たっている 第1,473号
井上馨の富国主義を受け継いで、戦前は満洲 産業界を主導し、戦後は岸信介とともに高 度経済成長を支えて中小企業の育成に 努めた。 鮎川義介(1880~1967)は、満洲建国後、 岸信介、松岡洋右、東条英機、星野 直樹らとともに「二キ三スケ」と 呼ばれ満洲政財界を統括した 5人の実力者のひとり。 従来、鮎川義介については満洲時代を 中心に語られることが多かった。 ...
生きづらさを解決できる仕事に残りの人生を注ごう 第1,466号
がん闘病と不妊治療という辛い体験をした 西部沙緒里さんは、その体験を生かし ライフサカスを創業。 いま「女性が抱える特有の悩み、生きづらさ」 を解決することに尽力しています。 西部さんが自身の体験と共に語る、生きづらさ、 働きづらさを感じることなく、 誰もが美しい人生を咲かせ生きるヒントとは。 ─────────────────── (西部) 私は2002年に早稲田...
父との再会を胸に.息子は逞しく生き抜くだろう = 2-1 = 第1,464号
本日は、『致知』2004年11月号より、 井坂晃(ケミコート名誉会長)の 「致知随想」をお届けいたします。 ……………………………… 「息子からの弔辞」 ……………………………… この夏の七月二十九日、弔問のため九十九里に赴いた。 弔問客は四十人くらいであったが、 私にとってこの葬式は、抑えがたい悲しみと感動が相俟って、 心に強く焼き付いた。 ...
天才=継続して高速の脳内回路を維持していける人 第1,461号
「やらなきゃ」「よし、やるぞ! 」と頭の 中で思っていても、なかなかすぐ行動 できない、集中力が続かない。 「自分はなんてダメな人なんだろう」と悩ん でいませんか?でも、安心してください。 「すぐやる人」「必ずやる人」「効率よく やる人」に変わる脳と体のメカニズム 気持ちをつかさどる脳と行動を つかさどる体のメカニズム を知れば、誰でも行動 に移すための スイッ...
同世代の中で圧倒的に元気な健康状態が生まれます 第1,460号
こんにちは、 岡田です。 先週はインタビュー記事が割り込みましたが、 今週から「歩行整体メソッドについて」に戻ります。 前回は「一段上がるためには何をすべきか2」でした。 現在の立ち位置、A~Iまでの9段階の中で、 DEFの第二の矢関連についてお伝えしました。 「一段上がるためには何をすべきか」では、 A~Iそれぞれについて解説していますが、 今回はGHI(第...
根気強く観察すれば知恵が出ることを.身を以て学ぶことができました 第1,457号
世界に誇る日本の自動車メーカー・トヨタ自動車。 その技術職の最高ポストといわれる技監を 11年間務めた林南八さんに、師であるトヨタ 生産方式の生みの親・大野耐一さんや鈴村喜久雄さん から学んだ仕事の極意を教えていただきました。 ★あなたの人間力、仕事力を高める 珠玉の体験談が満載の月刊『致知』。 大好評の最新号「後世に伝えたいこと」はこちら …………………………………...
常に連絡をとって関係を保っておくことが大事 第1,447号
忍術書に書き記された「忍」の精神とは?「忍術 を志す者は、毛頭も私欲のために忍ぶことなく、 また無道の君主のために謀ることはしては ならない―」。今日では、奇術や卓越 した身体能力で注目されることの 多い忍者だが、根幹となる精 神性がなければ見せ物と変わらなくなってしまう。 忍術を「道」に高めるために必須な精神とは いったい何だったのか。『万川集海』ほか、 貴重な忍術書を...
日本人が野菜を食べる習慣を広めた 第1,444号
ニッケイ新聞は、ブラジルに住む日本人・日系 人のための新聞で、サンパウロ市に本社を置 く日刊邦字紙(日本語新聞)である。 ブラジル移民の歴史は1908年にはじまり、 1932年、33年を絶頂期に戦前だけで19 万人、戦後には、6万人、あわせて 約25万人が移り住んだ。 その子孫は現在、6世まで誕生し、当国の 日系人は約150万人に増えた。全世界の 日系人数が約250...