「 生きる 」一覧
真に美しいものは.強さを秘めているもの 第1,483号
著者は明治大正昭和の時代をたくましく生きた 祖母と12歳までともに暮らしたが、後年、祖母 の生き方、その言葉を思い出すにつけ、戦後 日本人の女性が忘れてしまった「人として の心得」「女性としてのあり方」が散り ばめられていることを知った。 それこそが武家の女性の矜持そのもの、つま り女子の武士道だったと気づいたのだった。 本書は53の祖母の言葉を挙げながら、女性とは、...
自分達の生の意義を自問自答していたと実感するのだ = 2-1 = 第1,477号
2019/08/07 (水) 19:00 あなたには命をかけて守るものがありますか。 特別攻撃作戦は、大東亜戦争末期に戦局挽回 のために採用された十死零生ともいえる 体当たり戦法である。当事者、遺族、 関係者を国内外で幅広く取材し、 国家と個人の関係を追求したノンフィクション。 平成8年、31歳のとき、不規則な仕事などの 影響もあって、体調を崩した。命に関わり はない病気...
笑顔で走って来る優希が見えてきたのです = 2-2 = 第1,472号
昨日に引き続き、 『致知』7月号の記事の一部を お届けします。 …………………………………… 69歩からは一緒に手を繋いで …………………………………… あの事件の最中、現場にいたのは ほとんど子供たちばかりだったために、 事件の詳細はなかなか明らかになりませんでした。 我が子がどこで倒れたのかも分からず、 もどかしさを募らせる私たち遺族は、 学校や警察の協力...
笑顔で走って来る優希が見えてきたのです = 2-1 = 第1,471号
最近刊行された月刊『致知』の中で、 非常に大きな反響を呼んだのが 『致知』7月号に掲載された 本郷由美子さんの記事です。 いまから18年前、平和な学校に押し入った 一人の男の凶行により、 8人もの児童の命が奪われました。 附属池田小事件です。 この事件で7歳の愛娘を失った本郷さんはいま、 さまざまな喪失体験に苦しむ人々を支える活動に 邁進しています。 一時は死...
生きづらさを解決できる仕事に残りの人生を注ごう 第1,466号
がん闘病と不妊治療という辛い体験をした 西部沙緒里さんは、その体験を生かし ライフサカスを創業。 いま「女性が抱える特有の悩み、生きづらさ」 を解決することに尽力しています。 西部さんが自身の体験と共に語る、生きづらさ、 働きづらさを感じることなく、 誰もが美しい人生を咲かせ生きるヒントとは。 ─────────────────── (西部) 私は2002年に早稲田...
人生には「いま」しかない「いま」をどう生きるかで幸せは決まる 第1,459号
20歳の時に、運動能力が低下する 難病の筋ジストロフィーと診断された 小澤綾子さん。 苦悩の日々を乗り越え、難病と闘いながら 会社員、歌手、講演活動など多方面で活躍し、 多くの人に希望を与えている小澤さんに、 いまを前向きに生きるヒントを伺いました。 ………………………………………………… (小澤) 実は私は高校の時にバンドを組んでいたのですが、 その頃を思い出し...
根気強く観察すれば知恵が出ることを.身を以て学ぶことができました 第1,457号
世界に誇る日本の自動車メーカー・トヨタ自動車。 その技術職の最高ポストといわれる技監を 11年間務めた林南八さんに、師であるトヨタ 生産方式の生みの親・大野耐一さんや鈴村喜久雄さん から学んだ仕事の極意を教えていただきました。 ★あなたの人間力、仕事力を高める 珠玉の体験談が満載の月刊『致知』。 大好評の最新号「後世に伝えたいこと」はこちら …………………………………...
貧乏神や疫病神がおられないように掃除せい 第1,455号
「私は、あくまでも尊徳先生の残された 四ヵ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の 励行を期せんことを願うのである」 渋沢栄一 「尊徳先生は、至誠を本とし、勤労を主とし、 分度を体とし、推譲を用とする、 報徳実践の道を唱えられ、実行に移された のでありますが、その手法は極めて科学的 であり、経済の論理にかなうものでありました」 ...
日本書紀があったからこそ.国難でも日本は生き残れた 第1,454号
本当は世界に向けた情報発信だった!「最古の 歴史書」誕生から1300年。古事記だけ では本当の日本はわからない! 日本書紀は奈良時代に成立した日本最古の 歴史書。正史である六国史の第一にあたる。 舎人親王らの撰で、養老四年(七二〇年)に完成。 神代から第四十一代・持統天皇の時代まで取 り上げ、漢文・編年体にて記述される。 全三十巻。系図一巻が付随したが散逸。 ...
あのとき.自分に何ができたろうかと思います 第1,451号
8月6日は広島に原爆が投下された日です。 広島の平和記念公園で平和祈念式典が開催 されましたが、公園内にある引き取り手が ない遺骨を納めた原爆供養塔の存在を ご存じでしょうか。 その原爆供養塔の掃除を40年以上にわたって 続けられたのが被爆者の1人、 佐伯敏子さんです。 日本人として決して忘れてはならない日に あたって、平和の大切さについて考える きっかけにしていただけ...