そんなにやる気があるなら教員になる道もあるぞ = 2-1 = 第 2,662 号
幼少期の失明という逆境を乗り越えて 東京の大学に進学し、郷里・岡山で長年、 盲学校教師を務めた竹内昌彦さん。 現在は目の不自由な海外の子供たちを支援する ヒカリカナタ基金を設立するなど 幅広く活躍されています。 竹内さんが考える人間の幸せとは。『致知』 2006年9月号の記事の一部をお届けします。 ─────────────────── (竹内) 私が右目の視...
4つの運動が超健康になれたメインの原動力となっています 第 2,661 号
こんにちは、 岡田宰治です。 前回は「5年間で超健康体に!異質結合の大切さ」でした。 今回は「5年間で超健康体に!その中身は?」です。 ・図入りはこちら ・研修3ヶ月前から筋トレスタート では、実際は何をやって、虚弱から超健康になったかふり返ってみます。 当時、自己啓発のため参加していた経営研修の中で、「健康寿命をのばす」という理念のパーソナルトレーニ...
「歩行整体」という回復から若返りまでの体系ができあがりました 第 2,660 号
こんにちは、 岡田宰治です。 前回は「骨細タイプは若返り筋を鍛えなさい-下-」でした。 今回は「5年間で超健康体に!異質結合の大切さ」です。 ・図入りはこちら 5年間のわたしは、超虚弱体質から脱出し、平均以下ながら健康体質に這い上がったという状況でした。 ところが、そこからはトントン拍子で超健康体にまで変身することができたのです。 その前も仕事柄、健康...
偉人は計画にたっぷり時間をかける 第 2,659 号
毎年700億円を稼ぎ出すダイレクトマーケ ティング企業家が明かしたゼロから1億円 を生み出す最速の方法とは。 重要なのは、行動する時間よりも「計画と 準備にかける時間」に興味を持つことです。 仕事の準備に時間をかけなければならない ときには、「時間がもったいな い」「早 く仕事に取りかかりたい」と、いつも 腹を立てているのではありませんか 机に向かって課題の調...
私にしかできない仕事があるはず.自分に自信をつけよう = 2-2 = 第 2,658 号
〈伊藤〉 初めの頃は腕がないことが 周囲に知られるのが嫌で、 家から数十メートル先の自動販売機にさえも 行くことができず、 通院する時などはジャンパーを羽織って 袖口をポケットに入れて コソコソと歩いていました。 ですので、神戸のリハビリ病院で、 私よりも重度の患者さんや車椅子に乗った方、 義足の人たちが堂々としている姿を見て、 とても衝撃を受けました。 なぜ自分の負...
私にしかできない仕事があるはず.自分に自信をつけよう = 2-1 = 第 2,657 号
20歳の時に交通事故で右腕を失った 伊藤真波さん。苦悩の日々を乗り越え、 日本初の義手の看護師という夢を叶えながら、 水泳のパラリンピック選手としても 二大会に出場されています。 「事故はいい勉強になった」と笑顔で語る 伊藤さんの芯の強さは、どこから来るの でしょうか。転機となった出来事と これまでの歩みを語っていただきました。 ─────────────────── ...
学校教育.財政.安全保障.宇宙開発等国策づくりに励んだ 第 2,656 号
禁断の「革マル取り込み」で魑魅魍魎の労働 組合を屈服させ、30年以上にわたりJR東海 に君臨。政官界の人事を自在に操り国を 憂い、国を導くその一方で、国益を ビジネスに結びつける「国商」と 呼ぶべきフィクサーだった。 国鉄解体という戦後最大の難事に身を 捧げた改革の闘士は「怪物的黒幕」 へといかにして変貌したのか! 「本書が解き明かすのは、鉄道をナショナ リズムの...
人間性を高め自分自身の魂を磨いていく.これこそが人生の目的 第 2,655 号
感動の声をたくさんいただいている 11月1日発刊の「追悼 稲盛和夫」。 皆様の明日からの心の糧になることを願って、 稲盛氏の珠玉の言葉をお贈りします。 ───────────────── ・私心を捨てて、世のため人のために よかれと思って行う行為は、誰も妨げる ことができず、逆に天が助けてくれる ・心の中でどういう思いを抱いているかに よって、その人の性格は変わっ...
孤独と沈黙に耐えられる人 第 2,654 号
「リーダーは嫌われてもいいが、尊敬され なくてはいけない」小泉純一郎・織田 信長・スティーブ・ジョブズ‥‥。 彼らが毀誉褒貶半ばしながらも、結果を 残せたのはなぜなのか。 竹中平蔵氏が、小泉進次郎氏をはじめ、識者と ともに、歴史的リーダーたちの意外な共通点を 分析した。きれいごとはなし!これからの時代 に必要なリーダーシップの本質が学べる どす黒いまでの孤独に耐えら...
沈み切った心が癒されていったのです = 2-2 = 第 2,653 号
4年後、知人から「介護の仕事をやって みないか」と声をかけて頂きました。 未経験でしたが、 役に立てればと始める事にしました。 そこで運命的な出逢いが訪れます。 その方は難病で体を自由に動かせず、呼吸器 をつけて辛うじて命を保っていました。 その患者さんと母の姿が重なり、 お世話を続けるうちに 母の死を次第に受け入れられ、 沈み切った心が癒されていったのです。 私を救...