「心は万境(ばんきょう)に随(したが)って
転(てん)ず」人の心がその置かれた環境
によって変わる、という意味です。
私達の性格が形成されるのは、内因性(遺伝
による先天的要素)と、外因性(家庭や社会
など周囲の環境から受ける後天的要素)
と、心因性(自分の現在の意志)による
といわれていますが、そのうちで
多くの人が一番影響を受けやす
いのは、二番目の外因性では
ないでしょうか。
「三つ子の魂百までも」という諺もあるように、
幼年期の三歳ともなると自他の区別や物心がつ
き、その頃の家庭環境や育てられ方いかんに
よって本人の性格が方向づけられ、引き続
く青少年期には学校などでの交友関係や
社会環境によって、幼年期の性格が
増幅され、成人になって固定化するようです。
したがって、そうした性格の形成段階にある
青少年期に、親は自分の子供を良い学校に入
学させたがり、社会環境の良いところに住
まわせたがるのも故なきことではありません。
そして、成人後の性格改造は、本人がよほど強い
意志を持って努力するか、他律的に洗脳を強制
されない限り、難しいと言えましょう。
「朱に交われば赤くなる」で、周囲の環境に
なじんでしまうのが世の常です。
かって釈尊(しゃくそん)が弟子のア-ナンダ
と遊行(ゆぎょう)し、魚屋の前を通りかかった
時、ふと足を止めて、「あの落ちている縄
きれを拾ってくるように」と命じた
ことがあります。
しばらくして、釈尊はア-ナンダに拾ってきた
縄を捨てさせ、握っていた手をかぐよう
に命じました。
「生臭い匂いがします」と答えると、「そうだ。
生臭い魚をゆわえれば、その匂いは縄に移り、
その縄をつかめば手まで生臭くなってしま
う。同様に交わるものや人によって、そ
こから受ける影響は計り知れず、それ
が当人を良くもすれば悪くもする。
だから私達も交わるものによく注意しなけ
ればならない」と、諭したと言います。
『大荘厳経論』(だいしょうごんきょうろん)に、
「もし人、有智(うち)の善友(ぜんゆう)に近づ
けば、よく身心(しんじん)をして内外ともに
浄(きよ)かならしむ。
これすなわち名づけて真の善丈夫(ぜんじょうぶ)
となす」とあるように、善き人にふれていれば、
いつかその感化を受けて自分までも善く
なってくるものです。
ではいったい、自分の幼少時に良い思い出が
なく、善い先生や友達を得られない人は
どうしたらよいか。
こうして一見救いがないような人に対して、
十一人兄弟の一人として生まれた将棋界の
鬼才・升田幸三名人(1918-1991)は
こう語っています。
「私のオヤジは酒は飲むし、バクチはやるで
決していいオヤジではなかった。
しかし私にとってこのくらい、
よい恩師はなかったと思う。
それはどういうことかというと、オヤジは
気の毒にも自らの行動によって悪い
見本を示してくれた。
だから私はオヤジと反対の事ばかりしていれば
良かったのだから、こんな楽なことはない」と。
開き直って逆手を取り、「災いを転じて福と
なす」生き方もあるのです。
不運な境遇にあり、悪に染まったことのある
人は、よい環境の下でぬくぬく育った人より
も免疫性を持ち、それをテコとして心を
燃やし、かえって普通の人より、抜き
ん出た力量を発揮することがあるのです。
そう考えると一概に環境に染まるとは
いえず、環境に打ち克つ事こそ
私達の本領と言えましょう。
( 仏教伝道協会 みちしるべより )
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。 感謝!