世の中には、いろんな性格の違った人達が
おられます、そうした中にあって毎日の
人生を、楽天的に明るく過ごす人が
いるかと思うと、悲観的に暗い
毎日を送っている人を見かけます。
どちらの人生を歩もうと本人の自由で、他人が
とやかく言う筋合いではありません。
私の周囲にも口癖のように人と出会う毎に
自分の不幸を嘆き、愚痴や泣き言を並べ
立てて相手の同情を買い、それが聞き
届けられればご機嫌ですが、そうで
ないと聞く相手をなじり、激しく
責め立てる人がいます。
それにひきかえ客観的に見て不幸な人生を歩み
ながらも、それをおくびにも出さず、表面では
何事もないような平気な顔をして人生を楽観
し、他人には「なんて幸せな人なんだろう」
と感心されている人がいます。
ところが実際にはいろんな不幸事を抱え、それ
にもかかわらず明るく振る舞っているのを
知って「どうしてなんだろう」と
不思議がられています。
このような二通りの生きざまを見るにつけ、
性格や心の持ち方によって人の生き方に、
天地の隔たりがあることに気づかされます。
私達も大別すると、このいずれかの生き方を
しているのではないでしょうか。
ということは、言葉を変えれば毎日が嫌なこと
や不満だらけで「暗い人生」を送るのも、それ
にもかかわらず、人生とはこんなものだと
思って「明るい人生」を送るのも、心
がけ次第であるとするならば「明
るい人生」を送ったほうが良い
のではないでしょうか。
「足(た)らぬ足らぬは心が足らぬからだ」と
言われるように、いつも不満足の状態であえ
いでいるよりも適当なところで満足し、今
まで得られたものに感謝したほうが、
どれほど心にゆとりができることでしょう。
私達には「もうこれでよい」ということはなく
一つのものが得られれば、次にはそれ以上の
ものを得たいという欲望が湧くのが普通です。
しかしそうして絶えず、次から次へと求める
ことにうつつを抜かしていると、いつまでも
満足する状態に至ることがなく、一生を
不満足のまま終わってしまうこと
になりかねません。
今は、何でもお金さえ出せば欲しいものが
手に入る、世の中ですがそれでも「まだ
足らない足らない」と不満だらけで、
得られたものにも感謝する気持
ちが薄いようです。
「当然だと思う気持ちには決して感謝の念は
わかない」といいますが、すべて得られた
ものは当たり前ということであれば、
それに対して感謝できるわけがありません。
しかし、この世で私たちが得るものは、たとえ
それがどんなにわずかなものであっても、天地
の恵みや他人の汗の結晶によって作られた
ものであり、いくらお金さえ出せば
たやすく得られるとしても、それ
を当然視したとするならば、
それを作った人も与えられたもの自体も
喜ばず、得た本人もありがた味を
感じられないことでしょう。
そうしたならば誰もが喜べないので、いい
加減ものしか出回らず、単なる物々交換の
味気ない人生が空転することになります。
それでもって「人生はむなしい」と嘆いて
いるとしたらそれこそ身勝手と
いうものでしょう。
泣いても笑っても、私達の人生は
たった一度限りです。
どんな人生を送ろうと本人の勝手ですが、どうせ
生きるならそれを明るいものにし「本当に生きて
いてよかった」という実感を持って悔いのない
ものにしたほうが、どれほどよいか
わかりません。
私達は、周囲からいろいろ力添えを得た時
よく「おかげさまで」という言葉を口に
しますが、この意味は、おそらく夏の
暑い日に樹の蔭で休むと涼しくて
ホッとするところから、樹に
感謝する気持ちを表して、
その「おかげ」というのでしょう。
しかし、樹そのものは何も私達に涼を提供して
いる気持ちはなく、それ自身のために成長して
いるのであり、その樹に対して感謝できるか
できないかは、私達の心の持ち方によると
思うのです。
( 仏教伝道協会 みちしるべより )
今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。感謝!