自分自身生き方の強さ・深さ・広さを磨き続ける (2-2) 第 111 号

 私達はとかく日常生活の中で便宜上、上下、

左右、前後、東西、南北、表裏、善悪、正

邪(せいじゃ)、美醜(びしゅう)など、常

に正反対の二つの概念を一体にした

相対的二元論を尺度にして物事を

判断しがちなのですが、

 これらはいずれも符牒(ふちょう)であって

実体がなく、単なる社会生活上

の約束事にすぎません。

 にもかかわらず、その概念にともすれと価値観

を持ち、いずれか一方を良しとして取り上げ、

他方は捨てますから、必ず両者の争いが

起こります。

 イデオロギーの対立をはじめとして、今日の

世界が直面する危機は、どれをとってもこの

相対的二元論に基づく、価値観の葛藤(かっ

とう)から起こる戦いといえるでしょう。

 釈尊の説かれる中道とは、こうした相反目する

自我意識を仲裁し、和解させるための姑息な妥

協策ではなく、それぞれが世の中の縁起の法

則に順応しながら、与えられた命を、すべ

てのものの福祉のために最大限に発揮す

るような方向に進んでゆくべき事を、

示しているのです。

 八正道(はっしょうどう)を実践するという事は、

この中道を歩むことに他ならず、それは、涅槃

という悟りに向かっていく、八つの手段と

いってもよいでしょう。

 もちろん、この道を歩んだからといってすぐ

幸せになれるとは限りません、自分がそう思

い込んでいるだけで実際には違った道を歩

んでいるかもしれませんし、口先だけで

努力を怠っているかもしれないからです。

 しかし、少なくともこの道を歩んでいると

いう自覚があれば、それに近づくべく

歩み続けることが出来るでしょう。

 中道の中で、正語(しょうご)、正業(しょうごう)、

正命(しょうみょう)という意志的な健全さ(戒)

(かい)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう)

という情緒的な健全さ(定)(じょう)、

 正見(しょうけん)、正思(しょうし)という知性的

な健全さ(慧)(え)、を保ち、それらのすべてに

わたってたえず正精進し、努力を怠らなければ、

必ず良い影響を自他ともに与えることが

出来るでしょう。

 そうした自分の生き方の強さ(戒)、深さ(定)、

広さ(慧) を保つことを総称して、”般若の

知恵”(はんにゃのちえ)を磨くといいます。

 ふつう、”般若”という言葉から連想するものは、

能の舞台で用いる怖い顔をしたいわゆる般若の

面ですが、般若とはプラジュニャ-という

知恵を表す言葉です。

 般若の面は、ねぼけ眼で人生のまともな生き方

に目醒めない人々を覚醒するために怖い顔をし

ていて、その威嚇の声を”般若声”と言っています。

 大乗仏教経典に、たった二百六十二文字の『般若

心経』(はんにゃしんぎょう)という良く知られた

お経がありますが、それはこの”般若の智慧”を

説いたもので、それをたえず磨く事を

すすめているのです。

        ( 仏教伝道協会 みちしるべより )

 今回も最後までお読みくださり、

        ありがとうございました。 感謝!

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