33歳の若さでこの世を去った竜馬は、夢を実
現するために様々な知恵と行動力を発揮した。
だがその一生は、お金に苦労のし続けだった。
どうやって竜馬は資金作りをしたのか?
その謎を原資料から徹底的に追求する。
坂本龍馬は、他の志士にはない、
独創的な方法論を持っていた。
西洋船を購入し、貿易や運輸で資金を稼ぎ、
それを政治活動費用にあてようという
のは、他の名だたる志士にはあまり
見られないものである。
しかし実はこのアイデアは
龍馬の独創ではない。
若狭藩の脱藩浪士梅田雲浜は、1856年ごろ
から、廻船問屋などの商人と結託して、各地
の産物の交易に一役買うことで、商人から
活動資金を得るということを始めている。
各地を遊説する志士活動は、各地の産物情報
を入手しやすく、副業として交易の手伝い
をすることはもってこいだったのだ。
梅田雲浜以来、脱藩浪士が商人の後ろ盾を
得て、遊説とともに交易活動を行うこと
は、しばしば行われてきたのだった。
亀山社中、海援隊などで行った龍馬の交易
活動は、先人のアイデアをよりスケール
アップして実現させた、という
ことがいえる。
そして龍馬の活動アイデアに、もっとも
強いインスピレーションを与えた
のは、勝海舟だといえる。
龍馬の生涯は、その輝かしい業績と同時
に、数多くのトラブルや困難続きだった。
普通の人が一生に一度遭遇するかどうか、
という事件や事故に、たった3,4年の
うちに、何度も何度も巻き込まれている。
私は、龍馬の先見性や発想のユニークさ
よりも、その前向きさに感銘を受ける。
普通の人だったら、1年、2年ふさぎこん
でもおかしくないようなトラブルの連続。
そのトラブルとトラブルの間に、
大きな仕事をやってのけるのだ。
龍馬が衆人に比してもっとも優れていた
面というのは、「決して諦めないこと」
だったのではないか。
幕末の志士たちの活動には、侠商と
いわれる商人たちの支えがあったと
いうことは、よく知られている。
たとえば、明治維新に大きな役割を果たした
長州藩の奇兵隊は、下関の白石正一郎という
廻船業商人が、スポンサーとなって発足した。
商人たちが志士に肩入れした理由は、
だいたい2つあったようだ。
一つは、西洋の動向は、武士商人
を問わず知識階級にとって共通の
不安材料だったということ。
そして志士たちの活動に期待した。
この国をなんとかしなくてはというのが、
知識階級にとって共通の思いだったようだ。
もう一つは、志士たちは全国を駆け回るもの
なので、志士たちを使って各地の情報を
掴みたかったということである。
商人にとって、各地の情報は
仕事上不可欠のものだった。
志士たちの情報網は、商業上とても
メリットがあるものだった。
竹下倫一
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。 感謝!