本来無一物(ほんらいむいちもつ)
上の句を記したといわれる慧能禅師
(えのうぜんじ)(713年寂)は、この
サイトの 第 90 号「2016年3月 6」
で紹介した神秀禅師(じんしゅう
ぜんじ)(706年寂)と同期の人です。
中国禅の五祖である弘忍和尚(こうにん
おしょう)(675年寂)があるとき、弟子
たちに向かって、「私も歳だ。後継
ぎを決めたいので各々自分の詩偈
(しげ)をつくって提出しなさい。
君たちのなかで法を得た者を第六代の祖師
としよう」といい、弟子のなかでも先輩格
の神秀(じんしゅう)がつくって呈上した
ものが 第 90 号で紹介した「身は
是れ菩提樹、心は明鏡台の如(ごと)し
云々(うんぬん)」という句です。
この時慧能(えのう)は、米つき小屋で働きなが
ら修行中の在家の修行者でしたが、神秀の句を
聞いて「これは真実をうたっているが、まだ
十分ではない」と批評し、自分の作った
ものを差し出したのが次の句です。
菩提本(もと)樹(き)無し
明鏡も亦(また)台に非ず
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
何(いず)れの処(ところ)にか塵埃を惹(ひ)かん
すなわち、世の中には菩提という樹も、明鏡と
いう心も本来無く、もともと無一物であるから、
塵埃がつきようがなく、したがって払拭(ふっ
しょく)する必要もない、という意味です。
この句を知った弘忍は「これこそ禅の神髄を
ついたものだ」として、慧能に第六祖の
印可(いんか)を与えたといいます。
神秀の禅風は、後に中国北方に伝わったので、
北宗禅(ほくしゅうぜん)といい、日々の修行
の積み重ねを強調して、順序を経て悟りに
いたる漸悟(ぜんご)を目指しましたが、
慧能の禅風は南方に伝わったので、南宗禅
(なんしゅうぜん)といい、修行の上に、さ
らに絶対的な飛躍の必要があることを強
調する、頓悟(とんご)をめざしました。
ともに悟りを得ることには変わりはなく、
その過程で煩悩の迷いを漸進的(ぜん
しんてき)に払拭していくか、そう
した煩悩と悟りの相対的な分別
を超越して、絶対的な境地に
直参(じきさん)するかの違いです。
( 長くなりましたので 第150号
「2016年4月 8」 に続きます )
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!