多(おお)いは足(た)らぬ元(もと)
今日は飽食(ほうしょく)の時代と言われ、
私達の周囲には有り余るほどの食物が出
回り、選択するのに困るほどです。
にもかかわらず、私達の欲望は「もうこれで
いい」ということなく広がり、次から次へ新
しいものを取り入れ、その獲得のためには、
収入をより多く増やそうと、あくせく
働き、そのために健康をそこねて
しまう人もいるようです。
そうなって初めて「いったい自分はなんのため
に働いているのか」と気づいても後の祭りで、
そうなる前に、仕事一本槍の生活に疑問を
感じて、心にゆとりある生活をしたい
と願うのは当然の事でしょう。
ロシアの文豪トルストイ ( 1828-1910 )に「人
はどれだけ土地がいるか」という小説があり、
それはカホ-ムという主人公が広い土地を
所有する部族のところへ行き、土地
を譲ってもらう話です。
その日のうちに歩き始めて、日没までに歩き
始めた地点まで戻れば、歩き回った土地を、
全部タダでもらえるというのです。カホ-
ムは欲張って、できるだけ遠くのほう
まで歩き続け、夕方になって歩き始
めた起点に、やっとのことでたど
り着いたのはよいが、その時
には息が絶えてしまったということです。
この章の句は「過ぎたるは及ばざるが如し」
と同じ意味で、人生の収支はいつも平衡(へ
いこう)を保つようになっています。
これを仏教では「中道(ちゅうどう)」といい、
自然の道に逆らって度が過ぎると、その反動
でやらなかったことと同じか、かえって
悪い結果を招くことを教えています。
釈尊(しゃくそん)は『法句経(ほっくぎょう)』に、
「心はたもちがたく、軽くたちさわぎ意の
ままに従いゆくなり。この心を整うは善し。
かくのごとく整えられし心は楽しみをぞ
もたらす」とも語っています。
ところが、私達はそうしたバランス感覚や限度を
知らず、自分の欲望の赴くままに、際限なく膨ら
ませてゆくと、いつかは、ちょうど風船が、ち
ょっとした穴がもとでパンクし、ペチャンコ
になってしまうようなものです。
( 長くなりましたので 第 171 号 に続きます )
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。 感謝!