私達の心は、”意馬心猿(いばしんえん)”とたと
えられるように、過ぎるか、偏(かたよ)るか、
無理するか、のいずれかに陥りやすい傾向
があり、そのとどまるところを知らない
かのようです。
鎌倉時代に蓮如上人(れんにょしょうにん)(1499年寂)
は、その師匠である親鸞聖人(しんらんしょうにん)
(浄土真宗の開祖とされる 1262年寂)の教えを承り、
『御一代記聞書(ごいちだいきききがき)』に次
のように書き記しています。
「人はあがりあがりておちばを知らぬなり。
ただつつしみて不断そうおそろしきことと、
毎事(ことごと)に付(つ)けて心をもつべき
の由(よし)仰(おほせ)られ候(そうろう)」と。
私達は、お酒を飲み過ぎれば二日酔いに悩まされ、
言いたい放題に人に当たり散らせば、反感となっ
て自分に返ってくるのをよく承知していますが、
「わかっちゃいるけどやめられない」で、
自分が痛い目に合わないと、その恐ろ
しさに気がつかないようです。
だからといって、私達にお酒も飲まず、言い
たいことも言わずに、「謹厳実直(きんげん
じっちょく)な人になれ」といっても、
とても無理な話でしょう。
また「なにもしないでいればよいか」と
いうと、それも決してほめたものでは
なく、「腹八分目」の諺があるよう
に、「危ない」と危険を察知した
なら、いち早く自分にブレ-キ
をかけ、それ以上暴走しな
いように自主規制する
より他に、方法はなさそうです。
( 仏教伝道協会 みちしるべより )
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。 感謝!